『美の巨人たち』三橋節子「花折峠」

意地悪な花売りが、ある日、優しい花売りを川に突き落としましたよ、という昔話が元なのですが、ぶっちゃけそんなことをして一体なにが楽しいのかと小一時間(ry


お前ふざけてんのかという感想ですけどもね。
本来の話では彼女は花に助けられたそうですよ。
でも彼女の絵ではそのまま流されて行ってしまったという、そして、もう一人の花売り娘、彼女を突き飛ばしたはずの意地悪な娘も、その絵の中からだけではそんな役回りなんて読み取れることはありません。
説明しろってんじゃないんだ。
でも、そのモチーフなら省くんじゃないのかしら。必要?


美の巨人たち』:「花折峠」
滋賀県・長良創作展示館 三橋節子美術館)




幼児の時に石灯籠の下敷きになり。
それ以来、なんつーかちょっと体の弱い生活を送ってきたという彼女、上手く歩けないそうなんだそうですよ。そして低い視点で地に咲く植物と出会ったのだと。
体が普通に動くようになっても、彼女はその視点を忘れなかったのだと。
で、それを絵に描くようになったのだそうですよ。いつか。


そしてなんでだか、彼女はその花々に色を付けなかったそうです。
皆、なんというか白っぽい。
野生の花にも華やかな色はあるんですよ、本来。
けれど彼女はそれを白く表現しました、まあ、一応見た限り絵にも色はあるんだけどね、なんだかひどく色が薄い。ただ、なんとなく見たことがあるというか、枯れかけた花なんてのはあんな感じかなぁ?
野の花の色はそのうち抜けていきます、切り花とは違う。
萎れてもそう醜くはないですよ。
切り花というか、花びらの大きな花とはね。




そいでもって、34歳で右手に腫瘍が出来て。
35歳でそれがさらに肺に転移、亡くなったそうですよ。


んでそのせいで右手を切断してから、左手を訓練して、亡くなるまでの間にこの絵は描かれたとのことです。
彼女が一体どんな人生なのかを語ろうにも語れないというか、壮絶なのか、あまりにも静かなのか。そんな人生のわりにはというか。
やっぱり上手く表現出来ませんね。
自業自得で自分の命を縮めた芸術家ってのとも全く違う、静かな人生の中でこつこつと自分を作り上げていった人らとも違う。たまにしかいない、本当に百年に一人とか出ない「天才」ともやっぱり違う。


彼女の人生のどっからどこまでがこの絵に篭められているのかといえば。
こうして聞ける分はほとんど全てとしか言い様がなく。


“意地悪な花売り娘”は一体なにを求めて、もう一人の、ほとんど自分の分身のような娘を川に突き落としたりしたのか。彼女がいなければ売り上げが違うというのならばまだわかるけれど、それならさくっと一度突き落とせばいいだけで継続的に苛めてもなんの利益もないじゃないですか。
なに言ってんだアンタって感じな気もしますが。
自分の世界の一部だと思うんですよね、その立場ってどうしても。


もし無理に意味を求めるとしたらどうなのかなぁ、「彼女」は三橋さんはどこにいるのかなぁ、この絵のどこに。
流されて行っちゃった女の子ではあるんだろうけど。
そもそもなんで助けられたはずなのに流されて行ってしまったのか、だったら花たちは一体なんのためにその子の廻りに漂うのか。手向けのためなのか。




薄ぼんやりと想像してみることは出来ても、正しい形なんて到底わからないし、多分きちんとした説明にもならないなぁ。でも本当にこの人、どっかで絶望しなかったんだろうか、生まれてから死ぬまで、ほとんど多分、何一つ悪いことをしないでその仕打ち。
神さまとか運命とか信じてたほうが辛いんじゃないかしら。
それとも、彼女の心を支えたものはなにかあったんでしょうか。


でもなんか、そういうんじゃなくて、真っ直ぐ自分の人生と向き合おうとした結果が彼女の絵だって気もしないでもないですよ、いやなんとなくなんだけど。
どっかで絶望しなかったんでしょうか、自暴自棄にならなかったのかな。
芸術がどうとかってそんな話じゃなくて、もうちゃんと生きてるだけのことが与えてもらえない、少しも彼女のせいじゃないのに。


そして彼女は一枚の絵を描いたわけで。
それは救いだったんでしょうか、そういうことではないのかな。