「月の影 影の海」下
月の影 影の海〈下〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)
- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1992/07/20
- メディア: 文庫
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なんていうのかホラ。
三大ねずみとかあったら、辺境の小国・日本の元ライトノベルからですけれど、ぜひ頑張ってエントリーをしてくれるように闘ってもいいです(本気か)。
ナルニアのリーピチープは不動として、ぐりぐら、楽俊かなぁ。
楽俊は普通に好きだったなぁ。
おかげで苦ぁい“青春小説”から転落して、普通の小説になっちゃったんですけどね。
まあ小野さんの書く男は、この楽俊と他に六太くらいしか好きじゃないんですけれどね。なんでかはよくわかんないです、泰麒ちゃんの王なんてちょっと嫌い。
(女性キャラクタで嫌いなヒトは皆無です、むしろ好きじゃない女の人がいるかいないかくらいで、なんでかよくわかんない。)
一番好きなのは、もうずうっと陽子。
彼女になら嫁に行ってもいい(そっちですかー)。
そしてこの巻は、楽俊の陽子手懐け道中だよな。
うわぁ、行き過ぎやり過ぎ、都合よすぎ。とか思わんでもない。
いやでもこーいう男っているよなぁとか(女だと少し現れ方が違う、そっくりなのは多分ほとんど男にしかいない)。
ぬっちゃけ、よほど徳がないがないとただの嫌味だよなこれ。
己の中から出てくる、それに恥じないだけの軸がないと、無意味というより空虚だよ。
それは多分、弱者であり、差別される≪半獣≫という身の上であるということから発生しているのだと思うけど。
楽俊の描かれ方としては足りないんだと思う。
だから、些か、陽子には唐突に現れた「救い」になるのかもしれない。
この本の価値は、やっぱり楽俊の登場じゃないと思うのです、楽俊という≪善≫(完全でないのだと当人が言っても。)がいくら存在しててもそれは必ずしも、話に組み込まれないのではないかと思うのです。
楽俊を話に引きずり込んだのは陽子でしょう。
きっと楽俊よりはるかに度胸もない、覚悟もない、考えも浅い、この本が終わって王になって、それから何年かたったところが描かれている今でも。
それでも楽俊には多分かなわない。
それでも紛れもなく楽俊を話に、その社会ともいえるような部分に引きずり込んだのは陽子なのではないのかと思うのですよ。
別の巻で、陽子が少し、楽俊が“王”にはならないのかと呟くシーンがあるのですけれど、私は彼は王に向いていない人だと思う。
それがなにかとか、ちょっと上手く説明できませんが。
例えていえば、優しすぎる麒麟の存在に似た、向いてなさというかね。
もう少し例えれば、私が陽子でも、楽俊に剣を持たせ人を斬らせたくない。
麒麟と違って彼は必要ならこなすでしょう、信じないわけじゃない、そうせざるを得ない時もあるのかもしれない、けれどぎりぎりまで引き受けたい。
単に、楽俊やそうでなくても、そのままでいて欲しいから。
それは陽子は清らかな王ではなくて、泥を被る覚悟をした王だというふうに、私が思っているということなのかもしれません。
そして小野さんも、王をそういうふうに捉えているのではないかな。
≪上巻≫で彷徨った彼女は、楽俊という半獣の存在であるねずみに拾われました。
不信に牙を剥き、妖獣の襲撃に彼とはぐれ。
それでも裏切らない彼の行動の一つ一つを反芻して、陽子は叩っ壊された心を一つ一つ再構成していきます、まつわりつく蒼い猿を斬り。
楽俊を信ずる。
いや、彼には裏切られても構わないのだと。
私も、人を信ずるというのは、その相手にならばたとえ裏切られても構わないと思えることなんではないかと思っています。
自分に都合のよい行動を取ってくれると思い込むことではないんじゃないかしら。
私が一番好きなのは陽子です。
それはどうも、とても弱かったからなのではないのかと少し思っています。
彼女の人生において、彼女が“王”であるかどうかはあまり大した比重を持たないのかもしれない、けれど為政者であることから見ると。
「弱い存在」であったことは良い方向に向かうのではないのかなァ。