第五話「旅をする沼」

うわ、データ飛ばしました...lllorz


とりあえず、いおちゃんと水蠱さんのラブストーリーだったというような結論の出ていた内容だったと思うのですが、ソレを再現するつもりはありません。
書くってどうしても水物だしね。




旅をして、馴染みの学者(?)のところにまで向かうギンコの傍ら、「なんだか沼が多いなぁ?」と思っていたら、どうもそれは一つの沼であるらしいと気付いたのだと。
その当の学者先生のところでギンコは語り始めます。
移動する沼、なにかの経路を辿る意思のある水。


大抵は、なんらかの相手に向けて直接語りかけている彼にしては珍しい。
それは多分、今までの人らとは別種類の存在だったからじゃないかと思います。


少女が。


いや、ギンコ自身も言っていたのだけれども、1話のれんずのおばーさんとは、少し近いものがある。自分の孫息子のために、蟲になるという境界線を越えてしまったという。
孫のしんらが、幽霊のような彼女を見えていれば(たとえ会話が交わせなくても)、そーでなくても誰かが側にいれば、そうでなくとも、側にいための誰かを求めることができる環境であれば、彼女はなにも境を越えなかったろうと私も思います。




「蟲を選ぶというのは、永遠に死に続けることのようなものかもしれない」


と、やっぱりその世界は経験したわけではない、ギンコは呟きます。
なんとなくですけれど(そして実際匂わされているような気がするけれど)、彼は寸前で帰ってきた人間なんじゃないかなぁ?


目を喪った少女・スイちゃんのように。
彼女にはビキくんがいて、ビキくんが「そちらの世界」に行きかけてしまったことがその帰るきっかけになったのですけれど、そうでなければ、彼女もそのまま向こう側にいたままだったかもしれない。
(存在としては中途半端なのかもしれませんけれど)
(そこから自分で抜け出そうとは思わないのならば、時間が立てばいずれ同じものになってしまっていたでしょう。)
(ギンコがいなければ、ですけどもね。)




けれど、この話は少し違って。
意思もないままに、単に人間の行動に応ずるだけの蟲たちと違って“旅をする沼”である水蠱さんは、いおちゃんに、同じものになって欲しくなかったようにも見える。


そしていおちゃんは、それを心の底から望んだように見える。


なんでかってぇと、その緑の色をした水でしかない(見掛け)の沼は、どう考えても彼女の命を救い、彼女を受け入れ。
(多分ギンコと併走していたのも、彼女のため、彼女と人間を触れ合わせたかったためなんじゃないかなとも少し思えないでもないんですよ。)
そして、自分は死を選んでも、彼女を生かそうとした。
人として。




誰かのために境界を越えたり、誰かのために戻ってきたり。
いずれも、同じ世界で共に暮らすためなんですけれど、その中で、始めて意思を感じさせた水蠱さんは違う世界の彼女のために、自分が出来うる限りのことをした。
生粋に向こう側の住人なのだというのに。
人間以上に、いや、身勝手な願いで彼女を水神の生け贄にして殺そうとした彼女と同じ村の人間よりはるかに「人間らしく」彼女のことを思いやった。


だから、いおちゃんが水蠱さんを選ぶのがなんだか不思議じゃないんですよ。


男ってやっぱり顔じゃねぇよな!
(その結論は、確かに間違ってないけど遠すぎます。)




それでも、ギンコが彼女を助けたいというのが、水蠱さんの意思を感じ取っていたからだなんてことは思いませんけれど(無理だよね、私もラストまで見て、つらつら考えて始めてわかったような気がする)。
けれどねぇ、どっか途中で、それに気付いたと思うんですよね。


そーでなくて。
「会えて良かったな」
なんてぇ台詞は言えないと思うんですよ。




水蠱さんの思いを受けて、いおちゃんは生きていくでしょう。
どっかで愛おしい男に出会った時に、少しだけ、その形すらなかった異形を仄かに思い出すかもしれませんが、「彼」は、その選択を喜ぶでしょう。


言葉一つない、あんまりにも美しい恋物語でしたよ。