『この人この世界』ギョッとする江戸の絵画・#3 「自己流」の迫力−白隠

まあ、絵師さんとして取り上げたわけではないんだよん。
という言い方を辻さんもしておられたんですが、まるっきりあれですね、坊主としての一生の中の、あくまで付属としての絵、といった感じでしたね。
絵で聖典(や、お経ですがここでは)を表すというと、いくらか例自体は出てこないでもないんですが、人名としては出てこないなぁ。
曼荼羅とか広義だとイコンとかもそーだよね。


にゃ、単に知らないだけですが。


白隠さんのことは、どっかで聞いた気がしてならんのですが、どこでだったのかがどうしても思い出せません。絵も見たことあるから、『なんでも鑑定団』辺りかなー。
あの番組のおかげで美術品の知識変わりましたな。


Wikipedia白隠慧鶴


変な絵です。
なんか、美術筋の人には技術がないのどーのと言われるかもしんないけどー、と言われてましたが、坊さんが描く絵にそっちで点を付けるたぁ、ふてぇヤツだな! というふうに思いますもので、多分実際言われたことはないような気もします。
だって題材も坊さん風味だし(もうちょっとちゃんと説明しましょう)。


墨でしゃしゃっ、と描いてあるだけで、流れるような筆先っつーか、筆の跡丸分かりです。私の場合、お布施渡しに行ってこれを頂いたら対処に困りそうです。現代ならかなりの値で売っぱ(ry


ごめんなさい、全体的にあんまり好みじゃなかった...orz
いや、白隠さんご自身はいいんだけどさ、やっぱりこうなんというか「美術/芸術」という感じがしない。どっちかというと、やっぱり聖なる存在としての付随というか、絵を描ける神秘的なぼーさん、というふうにしてしか聞けなかった。


別にそれはそれで悪くないと思うんですが、わりと「絵」の話をがっつり聞くつもりで見てますものでちょっと気持ちが離れてしまいましたね。
いや、ちゃんと第1回から順番に見ていれば、ここで時代の空白期、代表的な絵師の存在しないという時期のこととして聞くことが出来たと思うんですが。
(1回2回の人らが概ね同時期の人だとか。)




うん、この人の出現によって、新しい表現の道へのきっかけになった、若い絵師予備軍らにとって、というのは面白いか。


なんつーか、一定の権威があるところに、新しく踏み込むのは大変な労力や勇気が要りますものな。そこにわりと高名なお坊さまがでん、と座ってらしたら後に続くのは楽っちゃ楽だよなー、つーかてめぇでやらんかい、とか思いましたが。ごめんごめんごめん。
誰だって自分の物を作り出す以外の変な手間は掛けたくないよな。


しかしまあ、見事な坊さんっぷりだったそーですな、白隠さん。


近所のばーさんが来ようがどっかの御大臣が来ようが、それぞれの相手に合わせた内容で話したとのことですよ。大臣よっかばーちゃんのほうが手強いのが世の常です。
大臣なんて「有名な坊さん」の時点でなんか満足してくれそーじゃん。
お経って口の中でもそもそって喋るから聞き取りにくいんだけど、説法ってどんなこと話すのかなー(京都のお寺で聞いたことあるけど、一般参加者さんが話されてたからそれが一般的なものかどうかわかんない)(つっても別の寺から来られたとかそーいう方ですが)。


時代はわりとなんつーか、庶民に厳しいっつー感じで。
町人文化が開くよりかちょっと前、文化の熟す直前、白隠さんも地方の一揆みたいなものを応援してたこともあるよーですよ。


そいで、文字が読めない人にも絵で説話を教えたそうですよ。
説明されないとぶっちゃけよくわかんないわけですが、つーか、口頭で伝えて差し上げればよろしいような気がするわけですが、まあ、絵を見せながらこれはこう、というのはわかりやすいかもしれませぬ。




いやいやいやいや、そーじゃなくて、まあ、「自己流」つーのはすごいことなんだよーん、という話なんですが(珍しくすでに語ってる)(というかネタ少ねぇ...orz)。
だよなぁ、誰がどうとかの教えは全然受けたことないらしいですが。
実際、他にこういう感じの絵は見たことないです、水墨画が強いて言えば近いかもだけど描き方全然違うし(あれはややこしい描き方するんだよー)。


てゆか、禅絵と呼ばれているんだね。
まあ、描きたいよーに描くのが正解だったということでいいんですかね、この話に関しては。正解もなにもないのか、好きなよーに描いていただけなんだろうしな。