−5)中国・張学良in軟禁生活、後半

ぶっちゃけて、観光地を転々としていたようです張学良。
なんでそんなことになっているのかはわかりません!
最初の住居にプール(時期外れだしたまたまよね)、テニスコートが付いていたことなんて口に出していいのか躊躇われます。つぅか、護衛(見張りじゃないの?)が「テニスつき合わされましたねぇ」って言ってるのは忘れるべきですか?!


次が蒋介石が愛した故郷というのも多分土地が味方だからですそうに決まってます。
最終的な住居は、蒋介石が台湾に行き、一目で気に入って自分で名前を付けた山って、、、もうやだこのエピソードーーー!!


この辺のことは近代史の本を読むと大抵分断して書かれてます、別になんとも思わずにどんどんと本を積み重ねてって読み進めてって、初めて斜めに傾いだという。やっぱあれかー、書くの憚られるのかー;


一番恐ろしいのは、この生活。
当の張学良だけなんっとも思っていなかったらしいという。
ちなみに蒋介石の死後、一人だけ別個にお別れの時間をもらっていたらしい(当人は人前に出られないからだと思ってたっぽいですが)のですが、まあそんなのはどーでもいいや。