『この人この世界』ギョッとする江戸の絵画・#2 身もだえする巨木−狩野山雪

いつもながら、全然関係ないことを語り倒していたらさくっと消えました。
いやたまに消してしまうんですけどね、作業してるのがテキスト形式なもので救済手段がなんもないというかなんというか。


Wikipedia狩野山雪


なにを語っていたのかというか、取り上げてる画家がヲタばっかりですね、ということを些か筋道立てて辿ってみたんですが(筋通すべきところは他にあるでしょうに)。そもそもヲタが多いなぁ、というのがすでに私の妄想であるのでかなり無意味です。
とはいえ、この回ではマニアック=偏執的と口にしたのは辻惟雄さんで。


山雪さんのことを偏屈な人だったんじゃないかしら、とゆうてたわけですが。


しかし私はなんとなく違うんですよ、感覚が。
いやだって、絵の中で反抗してるっつーてもその反抗具合が具体的に読み取れるのはある程度同類だけだしー(失礼な)、絵の素養+同類というハードルを乗り越えて辻さんが彼に突っ込みを入れたわけですが、なんというか素晴らしいことだと思います。


なんというのか、そんな程度の反抗じゃあ誰にも伝わらないわけで。
なぁんか不気味だなー、と思ったところで有名画家だし、腕は確かだし、ということで気のせいだったんだ、と納得してしまうんじゃないでしょうか、普通の方は。
いやだって、そっちのほうがなんぼか健全じゃないですか。
(別に健全が偉いとも思いませんが、不健全のほうが楽しくはありますが、そんなことは置いといて。)




虎の骨格は歪み、巨木は身もだえし、隊列を組んでいるはずの鳥はありえない方向に捻じ曲がっていて実は全く整列していなかったりするんですが。
まあでもほら、ちゃんと絵として鎮座ましましてるわけじゃないですか。
あっりー? と思う人は少なくなくても、説明できる人は少なかったと思うんですよ。


私的には本性を絵の中にこっそりぶち込んで、日々の生活は案外と平穏に送っていた、という感じに解釈をしてみたいと思います。


んで、そもそもなんでそんなことを辻さんが言ってたかというと。
晩年近くになってから牢屋に入れられてしまってたみたいなんですが、まあその辺はいろんな考え方出来そうだしね(当然辻さんのも一説としてあり)。私が個人的に思い出していたのは能の世阿弥です、あの人は流刑でな(違うという話もある)。
まあぶっちゃけ、権力者が変わっちゃうと次の世代の人に煙たがられて、という形というほうが無難なんではなかろうかと。


ただ、歳食ってたら取り成しで刑の執行などはなんとかなるだろうに、それがなかったということは、という流れだったらわからんでもないな。


とはいえ、狩野を名乗ってるとはいえ半民半官絵師。
権力者にとってそもそも煙たい存在であってもおかしくないわけで、性格どうこうというのをさくっとここで展開してしまうのはなー、とやっぱり思うんですが、もっとたくさんの資料の中から考えられたのだとしたら私がどうこう言うことでもないんですが当然。


しかしこう、絵の中に幾何学を取り込んでいる、というわりに地味。
あんな特別なモチーフもなんもないところに施してなにがしたいんじゃと。
大抵のものが枠からちょっとずつはみ出しているわりに、梅の木を襖に描かせたら無理に詰め込んでるからぐにゃりと歪んでしまうし。
とにかくこう、確かに反骨の精神と言えなくもないのかもしれませんが。
申し訳ないけどなんかみみっちい。


にゃ、絵としては結果的に面白いことになってるのかもしれませんけど、どっちかというと全体的にプチ反抗精神て感じにしか見えませぬ。


というわけで、一見従順そうに見えるんだけど、実は裏ではプチ反骨精神を持ってるんだよ、という性格に見立ててみたんですが如何でしょうか。
これは反骨の持ち主よりも地味にじわっと後からムカつきます。
や、絵はあくまで面白いんですけどね。


ところで私、巨木が「身もだえ」と聞いてエロい期待をしました。
そこまではまだいいんですが、違ったので今わりと本気で残念に思っている辺りが我ながらなんだかなぁ、という気がするのですが、しかしなんというかこのサブタイを付けた方もなんというか歪んでおられるような気もします。身もだえっつーたらなんか「いやーん」とか言いそうじゃないですか、情緒もへったくれもありませんけども。


ところで狩野派のお一人だそうですよ。
器広いっすね、狩野派
(御用絵師としてよー名前を聞きますわ、山雪さんは半官半民だったよーですが。)
実際どんな方だったかというのは、想像に任すしかないわけなんですが。