『この人この世界』ギョッとする江戸の絵画・#1 血染めの衝撃−岩佐又兵衛

というか、いくら珍しいと連呼されても、浮世絵ではありふれた題材...orz
と思ってしまいますもので、いまいち話に乗れない部分がありました。


Wikipedia岩佐又兵衛


いや、江戸の初期、いわばこの人自身がのちの浮世絵の先駆者とも言われている人物の一人なので、その見方がかなり見当違いというか、明後日の方向なのだとはわかっているんですけどねー。;
番組では主に『山中常盤』という第長篇絵巻が話の中心になっていました。
あれは結局、後半は別の人の手になるものじゃないのか、ということでいいのかな?


前半は牛若丸(源義経)に逢いに行こうとした母・常盤のあっけない死。
後半はそのあだ討ちのために、牛若が斬った盗賊たちの、血、血、血。


ある意味、「岩佐又兵衛があんな血塗れの絵を描くかーっ」と別人を主張した説と、んにゃ、あの母の愛に溢れた作品は彼のじゃ、と主張した説との折衷案みたいな感じだよね。
折衷案というか、そもそももともと二つの説は特に相反してないっつーことか。


えー、有名な人だから血塗れなんか描かねぇってことかよー。
んにゃ、有名だからというわけではないんでしょうが、なんというかこう、後半は確かに素人目で見ても若干羽目を外していたような気はしますね。つーかクドい、いくらなんでも人体切断面目立ちすぎです。
内臓は出てませんでしたが(よく考えてたらあんだけ乱闘してたら出るよなぁ)、あれは多分実物見たことがありますね、描いた人。んで、あんまり詳しくは見なかった人。


今はそれなりにどこでもその手の写真は手に入りますが。
(あまり褒められた筋ではないものもありますが、医療系とかも多いしね。)
当時はどうだったんでしょうか、それとも、戦火の収まりきらない時期、むしろ珍しいことでもなかったんでしょうか。それは想像するしかありません。




なんというか、お母さんが処刑された又さんでもよろしいんじゃないでしょうか。


ただしかしまあ、4歳の子どもが処刑の場面に立ち合わせるとは思いにくいんですが(しかも子持ちの母親でその子どもは助かってるわけだし)、そのせいで、その後ずっとその手の、人間の体のことに興味があっても不思議はないんじゃないかなぁ。
完全に目を逸らす系の人と、己の傷口をなぞるように、付近をうろうろする人の二種類が結構多いです、その手の話は。


もちろんそれは、単なるあてずっぽですけどねー。
でも、もし彼だった場合、それを簡単に表に出せた、という気はしない。
だって、己の傷に直結する話ですもの、そして、やっぱり見る相手を選ぶものでもあるんですよ。後の時代にはそれこそ、血染め絵ばっかり描いてた変、、、げほごほげほ、奇才鬼才の画家なんてのもいたわけですけど、当時受け入れる母体があったかどうかもしれません。
それにあまり売れないところから、結構いい家の殿様に気に入られているし。


殿様が変態、もとい、似たような趣味だったらともかくも。
そうでないのならば、描くことはなかったろうなぁと。


いや推測妄想にすぎないのですが、あまり恵まれた立場ではない者同士のつながりってのは、わりとパトロンとその庇護者だけではないことはあるんじゃないかという気がするのですよ。
もし、又さんの絵が美しいものを、いや、ありのままの庶民を美しい絵として写し取っていたのならば(Wiki君の絵はとても綺麗です)、それは庇護をした人の趣味であってもいいのじゃないのかと。


そしてその時、もし又さんの心に「血塗れ」が存在していたのだとしたら。
それはなんというか、うーん、彼の絵を美しくしたんじゃないかという気がするのですが、これはどちらかというと、芸術家というよりエンターテイメント寄りの話。
自分の本当に思うものよりも、そうでないもののほうがバランスが取りやすい人種がいるんですよ、それは私はヲタなんて呼んでいますが、自分のコントロールがちょっと苦手な、その分ままならぬエネルギーを抱え込んでいるというか。




なんというか、母の愛と、血塗れとを組み合わせるのは彼であってもおかしくはないのではないかって気がするんですよね。もし、一人の人物が描いたのだとしたらですけど、分かち難く結びついている可能性ってないのかなぁ。


母が血塗れで死んだから、自分が助かったのだ、命を継いだのだと思わなかったのかな。
なんというのかこう、絵のことに全然触れませんでしたが。
番組内で進行する説明を裏切って私はそんなことばかり考えていました、そういうことがありえてもいいような気がしてしまうんですよ。私は。