第一話

すごく正直に言うと、「世界を変えたい」と思ってるのはいじめっ子なんじゃないのかと思うんですよ。いや、昔ならね、手近に手頃なターゲットがいない、発覚しても社会的立場に結構差があるので誤魔化しが効く、特に問題視されていない、等々の状況によって苛めが娯楽たりえた状況はあるんだと思うんですが。


今はその気になればいくらでも相手はいる。
フラストレーションの発散なら、自分の身元が判明しないに越したことはないし、お金があれば代替手段がいくらでもあるでしょう。そしてそのくらいの金、今時大抵あるでしょう。
いや確かに「苛められる側」は悲惨だとは思いますが。
しかし苛めてる側というのも暗くて陰湿でじめっ、としていてあまり気持ちのいいものではなく、基本的にはよほどの度胸と周囲をまとめる人望がない限り表立ってやるわけにもいかず(しかし、そこまで能力あったら別のことに使え;)、まあ苛められてる側よりはマシだけどもさ、という状況なのではないのかと思うんですよ。


しかもこれ、有志制。
強制就労させられてしまう“苛められっ子”と違って、少なくとも始めた場合は任意なわけです、まあしがらみとかその場の勢いとか、他にも多少理由はあるわけですが。




そこらが義務感がなければちょっと手を染められないんじゃないかと思う由縁なのですが。


けれど、「世界」はそう甘いものではなく、とりあえずさしあたって中学生が出来ることなぞ、よほどの才子でなけりゃないわけで。しかもそのくらいのことは水準よりもちょっと低いくらいまでの子なら容易く理解出来るでしょう。
つまりまあ、絶望だけが先に情報としてあるわけで、義務感が消せない場合。
彼ら彼女らに出来るのは、手近な人間に“悪”や害悪の名を被せ、それを正すことくらいしかないんじゃないでしょうか。冷静に考えて、それ以上のことが出来ることはないような気がするんだよなぁ。


という感じに思考が暴走して行くわけですが私、苛められっ子と苛めっ子(始めた子)が非常に近しいものであるというのは、ある程度詳しい人ならば知ってるんじゃないでしょうか。なんというのか、家庭環境なんかの事情が案外近かったりする。
一見違っても、まあわりと皮剥いた中身は近かったりするんじゃないでしょうか。




さて、ウチの母。


一緒にDVDを見ながら「あら、しっかりした子じゃない」と言って、私を壁に軽くめり込みたいっなー、と思わせてくれるくらいのズレた感想を漏らしてくれたんですが(私は母の感性にぶっちゃけたまに感嘆を覚えます)。
この人は昔は全然ドラマの類を見てなかったのに最近たくさん見てるんですが、本当にそんなに世間感覚と違っててドラマ面白いんかなー、と思わせてくれるんですが。


明らかに半ば“おぞましい物”として描かれていた少女のことがわかってない。
ただ確かに、あの手の子どもの認識としては独学のわりにびっくりするほど正確で的を得ているようには思えるし、口調もしっかりしていましたね。周囲を眺めなかったり、合わせなかったり、するのは、ウチの家系では普通のことだしな...orzあかん


私は世界は変わっていってると思いますが、さしあたってどうにかせんといけないのは、どちらかというと≪人口爆発≫と移民問題だと思うしー、そうやって細分化されたことなら中学生だと無理でも頑張れば高校生くらいでもう関ること出来るしぃ。
本気ならそっち行っちゃえばいいんですよ、マジで。




というような感じの感想でございました(これは感想とは言わん)。


まあなんというか、私には「苛め問題」というものを共有することがしにくいというか、身食いの暴力とかなり単純化して見てしまうもので(ある種苛めっ子視点)、とある年齢以降仕掛けられても(わりとあります)、人のこと自分の一部として見てんじゃねぇよタコ! というふうにしか思えません。
いまだにあるんだよなー、隙多いんだろうなぁ、あと恵まれない人。




というか、最近は「こういうもの」までエンターテイメントとして消化する構えになってきたんですね、正直、レベルが高いとまでは行かないけどきちんと完結してんじゃん。
思春期はおぞましいもので、自意識の高さはろくなことにならない。
世界はそんな気概でどうこうたりとも動かない。


その、まあ現代人ならわりと多かれ少なかれ感じたことを“楽しもう”とするのは健全なんではないのかと思います、健全すぎて些かやけっぱちにも見えるけどな。


女子中学生は苛められて現実逃避し、世界を語り。
それがたまたま代理でやったきた臨時教員に少し届いた途端に教室の窓から転落し、死亡するというシンプルな話。しかしそこ描かれているのはエグさっつーか、確かに自業自得としか思えないようなその少女の自意識の発露。


しかしやっぱりそれはありふれたものでもあるとも描かれているのですが。