『この人この世界』ギョッとする江戸の絵画・#8 機知+滑稽・風刺の心−歌川国芳

ぶっちゃけて、「猫好き」しか覚えてないと言ったらまあ大袈裟ですが。
正直、あまり大層な印象がなかったというのが実際のところでしょうか、つーかわりと記憶に新しかったもんで一度目流し見しちゃったんだよね。
(>『美の巨人たち』歌川国芳「猫のすゞみ」


Wikipedia歌川国芳


しかし考えてみればこのシリーズの語り部辻惟雄さんの本「奇想の系譜」からこの人ら(前回の北斎さんは別)(てか、恐れ多くて昔は書けなかったって言ってたね)の再評価が行われたわけで。
上の番組なんかもその流れの中っちゃあ中なんですが。
だってあっちのほうがちょっと楽しかったしぃ、とか言ってみたりしてしまったりして、とりあえずまあ、悪くはないんですけど全8回の(まだ前半4回は見てないけど)トリとして相応しいと思うかというとそうでもないかなぁ、という感じ?
いや、この人は、当時からも一般評価があったわけですが。
(しかしその後廃れたりしたらしいですが。)


とりあえず、猫の比重はあんまり高くなかったです。
あと、フナムシとかゲジゲジとかもー、なんか「こんな物をクローズアップしてしまう、そのセンスがすごいでしょう」みたいな感じに紹介してたっていうか、なに描いとんねん、お主?! という、時空を越えたマジ突っ込みをしてた某番組のほーがどうにもこうにも面白かったというのはやっぱり揺らがないんですが。




しかしまあ、そこらがそんなに大きく取り上げられてたわけではないというのに気付かなかったのは自分のほーがどうかと思います。


どっちゃかというと、最初と最後に出てきたアレ。
旅人を襲って殺すお婆さんと、それを止めようとして旅人の身替りで殺される娘、というなかなかすざましい絵が中心だったようですが。
はて、語ろうとしていたことはなんだっけか?


そーいや、北斎が『八犬伝』の挿絵を描いて大当たり(&多分、国芳さん自身の好みにもぐっとくる部分があったんじゃないかと思われます)したので。
水滸伝を題材に絵を描いて、そこに西洋伝来の「時計」を配置するのだという新しさが受けたという話があったような気もしますが、これも一体どういう文脈で出てきたのだかがちょっとわからない。
なんというかどーも、孤高の芸術家とはほど遠いというか。
しかし俗だと言い切るのには、なんかちょっと当人の遊び心が常にあるというか、媚を売る時にでもてめぇの好きなことをしているというか。


骸骨も役者絵も、猫の美人画も。
時代がそれを求めているということだけでなく、やっぱり当人の好きなものだったよーにも思うんだけど、しかしやっぱり芸術性とはどこかが違う。




けれど、なんだか、老婆の絵は「芸術」な気もする。
なにをもってどうして判断してるのかは自分でもわかりませんが、いやまあ単に見た目でもいいんだけども。でも北斎は浮世絵でもなんでも芸術に滑り込むものは平然と滑り込むじゃない、同時代の歌川広重とかもまあそうと言えばそう(姓が同じなのは偶然、もともと画号ですが)。


この明るいことばーっか、やってた人はこんな絵も書いてたんですよ、みたいに紹介してその意味みたいのまでは語ってくんなかったような気もするんですが。
しかしけれど、彼の明るい絵の中にも、微妙な残酷さが含まれていたような気がする。
なんというんでしょう、エンターテイメントってどっかしら残酷じゃない? というとなんだか抽象論めいているんですが。


基本的に、お約束やら「世間の決まりごと」を踏みつけて彼の絵は成り立っていて、そしてそういう姿勢こそが世間に取り入れられたのだと言えないこともない。
彼の絵や姿勢に一貫性はあまりなく。
ただ、なんというか、本来あるべき流れに逆らう、ということだけが共通している。
けれど、それを奇を衒ってとか、受けを狙ってだとか、それだけを考えてやっていたようにも微妙に思えない。もしそうならば、どこかで彼は破綻し、飽きられていたように思えるのですよ、民衆て意外に馬鹿じゃない。




“系譜”ではなく、私はどうしても人を点で捉えてしまうわけですが。
なんというのか国芳さんてのは、ものすごく自由でありたかった、そして、人もそう望んでいるのだと知っていた。
そしてそのことを、そうしたいという願望そのものが、ある意味で残酷なものでもあるのではないのかと考えていたのではないのかなーと。


まあ、そんなの妄想なわけですけどもネ、もちろん。