『私のこだわり人物伝』折口信夫−古代から来た未来人 第3回 芸能史という宝物庫

金春禅竹といえば、世阿弥が「金オクレ」と手紙を送った人ですな。
という、トリビアを通り越してなにで覚えとんねん貴様、という内容から初めてみたいと思います。や、世阿弥の娘婿でね、なんで息子とか甥(こっちが実質的に後継いだ)じゃねーのかなー、と思ってたんですが。
この人も芸能書を書いてたんすか。


世阿弥っちゅーのは“能”の創始者、ではないんだけれども。
まあ、一つの芸能として確立した方ではあります。
観阿弥世阿弥という連名(親子)で知ってる方が多いかと、ちなみにその筋の(どっちだよ)方には世阿弥の甥が音阿弥ということをお伝えしときます。
(観世音菩薩かなー、と)(←観音様のことっす、略されてるの。)


Wikipedia金春禅竹


ちゅーか、大阪の芸人から能の演目「翁」に雪崩れ込むまでには、それこそ芸能で括るしかないわけですが、特に乱暴にも思いませんでしたね。
なんちゅーか、実際そういう飛躍した思考回路してそうだし折口さん。


「翁」に関しては能の本でも読んだことがあるんですが、要するに演目の前にのこのこっと人が出てきてくるくるっ、と廻るだけという。
いつまでも見ていたいような気もするけど、終らんとなんも始まらないという。
それを聞くだけで本質の一端は覗かせているような気もします。




折口さんの言い分としては。
芸能というのは全て神々との関り、彼らに捧げるために生まれてきたものであり、その異界とのチャンネルを開くために「翁」が出てくるのだと。


しかしそう考えると、いわゆる水戸黄門の印籠みたいなものかなと(をい)。
「この物語はフィクションです」なんてのもちょっとそんな感じ。


なんというか、芸能というか芸術というか創作物というか、エンターテイメントや娯楽の全てがその流れを汲んでいるような気もしないでもないですのですわ。もちろん私の思考も十二分に乱暴です、ハイ。
正直、ならば供物とは、そもそも神とはなにかと考えてしまうのですが。
そして折口さんが追いかけていたものはそもそもなにか。


芸能でもなく、神っつー曖昧な存在でもなく。
なんというか人間の本質みたいなものだったんでしょうかね。
文章そのものを読んでいるとどっかしら甘くてロマンチシズムで、しかしその思考や行動様式を追っていくとそうでもないというか、結構硬質で、意外と学術的でもあります。本来のイメージでの、淡々と「真実」を追究するという。




折口さんは、芸能の本質を眺めていたのではないか。
それは偶然にも、発見される前の金春禅竹、体系化される寸前の「翁」の本質を知っていたはずの彼の意見と一致するということを語っていたのですがね。
なんちゅーかすでに形骸化してたんじゃないかなぁ。
原始的な猿楽から能楽に変化したばかりの時代じゃあ無理かなと。


祭りだってそんなことごちゃごちゃごちゃごちゃ考えたりしてねぇよなぁ?
金春禅竹さんやら世阿弥さんなんつーのは、本まで書いてた頭でっかちなわけですが(ヲタ差別ですか)、世阿弥の父ちゃんの観阿弥なんてのもわりとこう「天才」と誰もが認めてたわけですが頭空っぽだったと思うんですよ。


――神に捧げるために異空間との接続を、、、なんて考えるかなぁと。
まあ、なにかしら人間よりも漠然と上の何者かのために、という気持ちくらいはあったかと思いますが、細かい所作まで理詰めってのはなんか違う気がするんだー。能やってる時にんなことまで考えるわけではないだろうよと。
そこまで人間の能力って高くねぇよ。体で覚えてくしかない。
体と頭が別の思考をするってことはあるけどね、それも職人芸、いわば慣れですわ。




いやなんだったっけ、「翁」は芸能の本質と。


世阿弥さんの『風姿花伝』なんてのも読んでいると、観客をまず二つに別けているのですが(貴族と民衆)、その隙間になんだか別の視点があるようにも感じる。
それはその二つの観客らとも全く違うんですよ、どちらの言うことも本質じゃない。
どちらを、どの程度聞かなきゃならないかなんて冷静に分析しているわけですよ。


ところで折口さんはなんの研究をしてられたんでしょうな?
ちょっと知ってる世阿弥について語り倒しちゃったけど、なんか他の回と時代も合ってないし、民俗学とも微妙にズレてるような気もするし。あ、いや、芸能史も立派な民俗学ということでいいのかな。


それとも、民俗学すら彼にとっては手段にすぎなかったんでしょうかね。