『この人この世界』ギョッとする江戸の絵画・#6 天才は爆発する−葛飾北斎

まあ、日本人なら“教養”よりワンランク下の知識、かな?
絵は見たことあります、名前は聞いたことありますって人はもっとずっと多いんじゃないでしょうか、もともとこのシリーズは「奇想の系譜」という本が元になっているらしくて、そこで扱うにはちょいと恐れ多いというか。
出版当時は載せられなかったんですよ!
とか、そんなことを語ってました、えーと、司会? 語り部かな。
(違うかな?)


Wikipedia葛飾北斎


んー、私にとっては、「滝沢馬琴」ちゅー小説に出てきた北斎さんがさすがに一番まとまった情報かなぁと。いや鵜呑みにしちゃいけませんけど、ああいう小説ってストーリーの中核に絡まないところでエピソード紹介するのでそれは半々くらいで信用してるというか。;
いや、あんまり褒められたことじゃないんですけどね。
小説だからって情報価が低いと見做してるというわけではなく、フィクションに足枷を付けるような行為だって気がするんですよね。間違ってたよ、と批判するのも同等。やっちゃいけないことだと思ってます。
(でも人物に愛着が湧いたり、調べた時に覚えやすかったりということはもちろん正の側面として数えてもいいんじゃないのかなぁ。)


いやいやいやいや、余所事ばっかり語りすぎですが。


いんじゃね? 素で天才でしょう。
破壊型とも微妙に違うというか、結構どころかかなり長生きして「せめて百まで!」だったか90までだったかそんなことを悲観してたそーです。いや、そのくらいまで生きたらもってすごい絵が描けるのにと。
はっきり言って、ゼロから生まれててもそんな進化の仕方してたら天才としか言い様がなく、しかもこの人、ある程度以上の天賦の才もあるわけじゃないですか。若い頃のも充分に天才、すげえ。


そもそも80歳とかって普通手が震えね?
という、もっともなんだけどもうちょっと夢のあることから語ろうよという気がする感想が真っ先に頭の中に湧いてくる時点で自分が少し寂しいわけですが。




そーいや、どっかの江戸時代のアニメでも(この人のエピソードだったかも)、「ずっと見てりゃ自然に上手くならぁ」みたいなこと言ってたんですが。龍とかタコの化け物とかどうすんじゃと。
神域に宗教絡みで描いてる場合もありますが、若い頃は挿絵とかやってんすよ。
上で書いた馬琴なんてのがそれで、お互いちょっとなんというかこう、芸術家肌というか受けや金だけのために生きられないみたいなところで、、、逆に妥協の効かない大衝突を起こして喧嘩別れしたっぽいんですが、それでも幾つか仕事を一緒にしてるそうで。


語り部さんは「この事典のこれから化け物のこの質感描いたんじゃないかなーっ、あとこの目とか見てみてよー」みたいなことを言ってたんですが。
魚の目ってもともとデフォルメなしであんなだし。
タコの肌もそもそもちょっと窪んでるので事典に頼る必要ないんじゃ。。。
とか思ってしまいました、私、写真で見たものが記憶として残るんでさー、確かに事典の挿絵と似てるっちゃ似てるけどそれだけで特定するのはちょっとなぁと。


余計ごと考えてました。


しかし龍なんてのはこの世にいないわけで。
じゃあどうやって龍を表現しようかといった時に、実際北斎さんはどーしてたのかなぁ。他の動物で似た物とか探してたんでしょうか。でも蛇の鱗ってちょっと違う気がするんだ、うーん、上手くは言えないんだけど蛇のはタイル地に近いっつーか。
いやだって地面に引っ掛かっちゃうじゃないですか。


どちらかというと魚なんかに近いだろうなと。
ほらやっぱり、龍は空を飛ぶわけですし、流線型に近いほうが理に(ry


(ヲタに分類していいですか、北斎さん...orz)
(いやちょっと勝手にすんな。)




絵を描くために生まれたから絵を描いていたんでしょう。
手段も特に選ばず、名の価値も気にせず、他人に名前を叩き売って嘯いて。金を稼ぐ道具にして、別に聖人なんつーものじゃあないでしょう。
どっからどこまでが彼の作品かわからんこともあるし。
彼の名前だけど別人の作品なんてのもあるらしいし。


しかしけれど、天才は天才でしょう。
絵を描くために生まれたから絵を描いていた生涯って、幸せなんかなぁ、やっぱり。死ぬ直前まで描き続けてた、「神さまもっと生かしてくれ」と言ってたってのは幸せだったってことなのかなぁ。
なんか遠すぎてわかんないよなァ。