#521 メテオラ(ギリシア)

神に近づくために高いところに修道院を建てたという土地。


崖の上に修道院だけがぽん、と置いてある図は素でシュールです。
どうやって生活しとんねんという疑問は誰にでも浮かぶと思うんですが、一応「今は」ゴンドラが設置されているそうですよ。


Wikipediaメテオラ


そしてぶっちゃけて、ゴンドラが搭載されるまで一体どうやって暮らしてたんですかあんたらというか、そもそも建築はどうやったんですかというか。
疑問符を頭の中にいっぱいにして見てたんですけど、ついに言及されず。
つーか、「実はよくわかってません!」の一言があったらいい感じでしたよ。
(わかんなくってもしょうがないよね、あれは。)


ごーんごーんがーん、という感じに、ギリシャ(もともと国土のほとんどが田舎だと聞きますた)の郊外に谷っつーか丘がぽつんとあるんですよ。日本にもそういう土地があるって聞くけどそれは大抵の場合古墳だとか聞きますが、ここのは違うんだろうな。
一箇所が隆起しているというより、取り残された風情。


どうしてあんな建物一個分の高台があるのかは聞き忘れちゃったかな?


あ、いや、Wiki君の項目には奇岩群って書いてあるから、中国なんかのと同じような条件か。風雨にされされたっつーか、ちょっともともとが脆いっつーか、多分石灰質に近いのかしら。で、多分ですけれどあんまり降雨は多くない。
風も、、、多分そんなには強くないな(ゴンドラあるし;)。




つーか、聞き逃してましたがやっぱり東方正教会系(キリスト教の一派)。
(≪ギリシア正教会≫の名称のほうがはるかに一般的ですが。)
これはわりと初期に本派≪カソリック≫(ちょっと“オーソドックス”というような意味合いがあったそうですよ、今でもかは知らない)から分離した宗派で、結果的には初期キリスト教の雰囲気を残してるそーですよ。


初期っつーか、イエス・キリストとも必ずしも関係ないっつーか。
己に厳しいっつーか修行僧が中心です。


しかしこうなんていうか、崖登りと敬虔な修行僧、というの図柄として微妙に噛み合わず、なんだか筋肉ムキムキな上に輝く白い歯と浅黒く日焼けした素朴なおじーちゃんというのが頭に浮かんでならないのですが。
それが「宗教のあるべき姿」と微妙に思えない時点で、私のほうが多分若干の偏見に染まってるんじゃないかという気もします。


なんとなく学問に近いものとして捉えてるんですよね。
まあ、「苦行」というのがなんとなく苦手というのがあるのかもしれないけど(しかしアジア圏だとまた感じ方が違います、仏教系の苦行は苦手とまではいかない)。




ただまあ、苦行として捉えるのもちょっと違うかな?


苦行というのは文字通り、己の体を痛めつけて行うものなんですが、崖の上に修道院を造ったら否応なしに外界と拒絶されるというだけのことで。
一人きりで行う「瞑想」はわりといろんな宗教で基本だもんね。


いや、とにかく気になるのが崖。
つーか、食料その他ライフラインをどうやって確保してるのかということで、それを完全に他人任せにしてたらなんか修行僧というのにはなんだしなぁ。。。
どう考えても質素にはなるかと思いますが事実上。
しかしそれで崖が登れるのか! とやっぱり崖に戻っちゃうんですよ意識が。
(ただし太りすぎても当然崖は難しいので、当然のことながら贅沢はないだろう。)
病人なんかはわりと教会には見れる人がいたような気がするのでいいんですが。




なんつーかこう、素で意識があっちこっち散らばる遺産だったなぁというか。
見た目が実に美しい、素晴らしい景観なのにも関らず(あり、そういえば建物内部って写してなかったよなぁ?)(ちょっとはあったっけか)、どうも敬虔な気持ちになる前に思考が余所事に向かうというか。
やっぱりちょっと、世界びっくりショー。


ただ、建築材料なんかはやっぱり一人の人がちょっとずつ抱えて、えっちらおっちらと往復してたのかなぁ、と考えるとその気の長さというか淡々とした姿勢はわりと修行僧っぽいかなぁ、という気がします。


けど観光客増えちゃったよ、というのも無理はないっつーか。w
自然の景観と共にどう考えても口に出さなくても修道院見に来てるだろというか。


そして彼ら修行僧は、人のいない別の土地に行っちゃったとのことですよ。
達者で暮らせよ〜。