『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』Episode.1「黒いアタッシュケース」

さて一言で表すのならば。


なんていうのか、ある意味で信念が形と動きになっているといえるのかもしれません。お世辞にも美しいとは言い難い絵面なわけで(まあ奇麗ならいいってわけじゃないけど、てかアニメ絵は興味ないわけですが)(SDに近いほうが昔から好き)、どんなに人間離れした動きをしたところで所詮アニメなわけで。
作り物なのだから、どんなに速くても本来そこに驚きはない。
強そうな、という太い腕も曲線に過ぎないわけですよ、私たちがそれを筋肉であるのだと、ましてやそれが鍛錬の結果であるということ、もしくは実戦の結果であるだなんてことは「そういうお約束」かそういう設定やそういう説明の中に読み取らなくてはならない。


しかしなんでそんなことしなきゃならないのかわからないじゃないですか。
少なくとも私はアクション物というものがもともと好きではありませんし、説明を理解することを強いられるほど苦痛なこともありません。


まあそんなのは、テレビや映画という媒体を通さなくても目の前にいる生身の人に対しても変わらないといえるのかもしれませんが。例えば体を張って人を助けてる人に対して「頭空っぽの筋肉ダルマ」と蔑むことはとても簡単なわけですよ。
体を鍛えることと脳味噌を鍛えることが反比例するとは限らないというのに。
そういうイメージがあるのだから言っても構わないって人はいるわけです。




つーか、立派な人、ならともかくも物語り、フィクション作り物、ましてやアニメを馬鹿にするのはとても簡単なことだと思うんですよね。
いきなり始まる追いかけっこに、じきに出てくる巨大なロボット。
人間離れした跳躍を見せる少女に、怪力の男。


一人の博士は背負われているものの、彼が何者かの説明は後回し。
追ってくる敵もなんだか奇妙な怪人もどき、生身で鉄を切り裂いたり空を飛んだり、奇妙な生物を使役したり。


なんで面白いのかわからないわけですよ、そうなるともう。
それが可能な人はおられると思うんですが私にはわからない、他の、詰まらないと軽く切って捨てられる話とどこが違うのかの見当もつきません。動機はじきに語られます、追われていた人の正体も。そしてなんらかの秘密があるらしいということも。
全てのエネルギーの源であるシズマ・ドライブという設定は面白いといえるでしょうか、完全に安全で永久に繰り返し使える絶対的なエネルギー。世界の、ありとあらゆるところに使われ張り巡らされているのだというそれ。


しかしその世界のリアリティを支えてるのはそこじゃないわけです。
極めて荒唐無稽な、戦いの連続、怪物のようなロボットを使役する少年、怪力の男たち、美しい肢体の黒髪の少女、敵も、そういえば味方側の長官もその副官もなんだか奇妙な技を使います。




なんのための戦い、といわれると片方はもう片方が攻めてくるからで。
いわゆる「悪」は己が目的を果たすためです、単純に。


もう少しあとになれば状況も変わってくるのでしょうが、説明より後悔より恐怖よりも闘っていることのほうが多いわけです。けれどなんだか、そこが面白い。「争い」「戦い」の描き方が違うということなのでしょうか、わからない。
ただなんていうのか、アクションそのものが華なんですよこの話。
それはぎりぎりに拮抗した状態として描かれているからかもしれない、正義の味方がなんとか切り抜けるという颯爽としたシチュエーションを楽しんでいるのかもしれないと思わないでもない。
でも私、そんな趣味はないんですよ。
上に挙げたものを、そのまま形にされた物を見せられた時多分、その8割から9割はほとんど用がないと言い切ることも出来る気がするんですよ。多分ほとんど見ないで。そのくらいなんだと思うんですよ、どうしても。
だから逆に、残りの1割が面白い理由がわからない。


もしかしたら捨てた9割にも「それ」は含まれているのかもしれない、単に私のようにそれを感じるのが弱い人間には1割しか届かないだけなのかもしれない。




なんで無骨なお世辞にも美しいとは言い難いロボットの上に、実際強いわけではないらしい少年が乗っているというだけでわくわくするのかわかりません。それがエンターテイメントなのだ、落差なのだ、定番なのだと納得したり説明したりすることはできるんですが。
じゃあなんで楽しいのかがわからない。


憧れるかというとさすがに違う。
そんなふうに振舞いたいのかというとそれもかなり疑問。


そもそも、ならば「ストーリー」が必要なのかということを考えてみた時に、なくてはならない、というふうには思うけれども。
多分この同程度の密度の別の話であっても変わらず見たという気もするわけです。
(後付けであって構わない、というか、戦闘を阻害するものであってはならないのだと思えてならないのです、なんだか。)