#516 峨眉山と楽山大仏(中国)

Wikipedia楽山大仏


中国絡みは人が少ないというか、Wiki君の書き手とは層が違うっぽいとはなんとなく感じてましたが、やっぱり短いなー。しかし別個に≪峨眉山と楽山大仏≫なんて項目もあったりするという辺りがちょっと複雑、世界遺産系は強いんだよね。
遺産への登録名かな、これは、タイトルもそうだし。


というか、いまいち詰まんなかったです、番組。


やっぱなー、得意分野と不得意分野ってのがあるような気がしますよ、回によって構成やってる人が(脚本じゃないとは思うけどなんて呼ぶんだろ?)、違うとは思うんですがもちろん。それでもやっぱり西洋圏のほうが大抵面白いよね。
まあ、欧州+中世だとちょっとネタ切れっぽくなってることもあるけどな。




というところで行数稼いですみません、おまけに行数を牛数(ぎゅうすう)と誤変換してしまったのに地味に受けててすみません、打ち間違えたけどそんな変換すんな、、、w


中国における仏教の伝来は、なんかぁ、もうよくわかんねって感じ?
みたいなところがあるわけですよ、いつ頃に権力者に認められるよーになったかだけは把握されているわけなのですが、いや、中国における仏教の伝播という上下巻の本を読んだことがある上での発言です。研究者も今いるのかなー、現役じゃなかったしなぁ、その方。むしろ今もご存命かどうか怪しいというかなんというか(失礼)。
と、思って調べたら20年前に亡くなってました...orz
(森三樹三郎氏です、仏教と中国のことでたまにお世話になってますー。)


そもそも仏教の伝播にもちょっと不透明なところがあるしね。
わりと亡命者みたいな人が思想を抱えて持っていくなんてことも多かったみたいです、新しい主君へのお土産というかそんな感覚。
記録に残ってるわけでもないけど、五行陰陽説に仏教の影響があるかもってことも言われてたりするんですよ(これが、、、なんて言えば通じるのかなぁ、春秋戦国時代の後期くらいですよ)(後漢の頃には記録にあるから確実ですが)。五行が輪になって相互に影響し合うって構図がそれなんじゃないかという意味なんですが。
でもその円で表される思想も仏教独自というよりかインドの思想かもしれず。w


ただ、仏教以前はそれほど国の外に持ち出されることがなかったので、その可能性がないでもないという。
なに言ってるんだかわかんないんだろーなー、これじゃ無理だよなぁ。
自覚してるんだけど、軽く前後五、六百年を説明する能力はありません。;




番組で説明されていた道教というのは日本だと神道に近いかな?
いやまあ、形式だけですけどね、
もともと仙人になるための教えでもなかったんですが、むしろ思想的な部分は儒教に吸収されてしまってますしね。老荘思想から≪道教≫に至った経緯ってのもこれが実は完全にはよくわかっておらず。えへ。;
幾つか自然発生した(相互交流なしと一般的には言われてります)当時の新興宗教がまとまってその祖となったと言われております、むしろ思想+神仙説というか。


つーか、キリねぇってば...orz


まあ、もともとは道教の山だったんだよー、仙人は山が好きっぽいですよ。そしたらなんかあとから仏教がやってきましたよ、なんか僧侶が崖に仏像さんを彫り始めたんですよー、一人じゃ完成しなかったんで別の人が完成させましたよってでけぇ?!
あれ概ねを一人で作ったんかよ、すげぇな。。。


なんか川の氾濫を沈める意味合いとかあったっぽいですが。
よく考えたら仏教が山の上に来る理由って特にあったっけか?


文化の中心地になったのは、三国時代の蜀くらい?
五代十国時代までカウントするのはなんだしなー、うーん。
なんで仏教がこの土地に来たのかわからんな。;
正直、今も仏教の名残りとか当時のものとかはちゃんと(剥げても)残ってはいるみたいですけど、どう見ても中国ナイズされてるし、やってることは道教に近いし。いや、中国全土で仏教って道教と半ば同化しちゃったんですけどね、それ以外は廃れたというか。
や、少数民族が持ってたりすることはあったっけか、いやあれはイスラム教だな(でもわりと独自の文化持ってたりするからどこかが仏教持ってるのもありえなくはないですが)。


いや、別にいいんですけど。
むしろこの土地だけでも充分見応えはあると思うんですが。
軽く歴史に触れながら、というのにはあんまり相応しくないというか、それやるには正道から外れ気味だし地味じゃんぶっちゃけ。


まあ日本のお寺っぽいというか静かで奇麗ではありました。
観光気分でたりらりら〜んというのにはいいな、血腥いことなんもないし。