#515 モスタル旧市街の古橋地区(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

ユネスコ主導でやったことで。
これほど、美しい結論を出したことってそうはないんじゃないかなぁ。


キリスト教徒とイスラム教徒が混雑して暮らしていた時代を経て、それでも内戦のために居住地を別け、けれどその間に一つの美しい橋を架けてお互い行き来したのだという。
そーいう土地の人ら。
そして近年、政治家に利用されて分断され。
互いに殺し合い。


今、「誰が誰を殺した」のかを知るような状態で、それでも彼らはその相手を憎まないのだと口にするという。微妙っていうか、多分奇妙な土地なんだと思います。
それでも許せる、という意味でもあるんだろうし。


そこまで近しい相手なのに殺し合いになったという意味でもある。


5百年の安寧は、いくらなんでも伊達ではないんでしょう。誰が、誰を、なんていう息の詰まる状態をそれでもと飲み込むなんてのは、対外的に取り繕うにはあまりにも壮絶すぎる。そんな人らなのに武器を取って戦ったという話なんでしょうこれは。
そして、よく考えればなんの恨みもない相手を殺したのだという。
「違い」の話なんでしょう、これは。
宗教の違い以外の、ややこしい状況がなんにもない、それなのに違うということがそんな事態を巻き起こしてしまったというそういうことなんでしょう。




本当に、なあ。
誰かを武器を取って死に至らしめる、というのは。
遠く、ただの狂気で自分たちに関係がないわけではないのだなぁ、としみじみと思います。いや、そもそも比べることも難しいんですが。
「違う」からって迫害を加える民族だものなぁ、私は。
せめてそれを自覚はしていないとならないとは思うんですが、やっぱりどうしてもたまに忘れていることがあります。差別を否定するってよりは、どっちかというと、それを利用されたりそれを「殺し」にまで至らせない。
いやそんなレベルじゃなくて、それがなるべくなら表に出ないように、形にならないように処理していかなきゃならない。隠すってんじゃなくて。


それでもやっぱり、私は単一民族の中で生きてきて。
なにもそれを全て恥じなきゃならないとは思ってないんですよ。




美しいアーチ状の橋には橋げたがなく。
ちゃんと積まないと崩れてしまうというちょっと空恐ろしいシロモノで、それを聞いた後は延々と「ひぃぃ、崩れるー;」という余計な心配をしておりました、すみません、5世紀の歴史を信じてない不謹慎なヤツで。。。
ほ、ほらだって、新橋はわりと新しいしっ。


さささ、最近のほうが技術が落ちるって言うじゃありませんかぁ。;
いや、単なる先入観です、本気ですんません...orz
ユネスコ主導の橋が落ちたら!
(だからいくら半ば本気でも笑えない冗談は止めましょうや。)


Wikipediaモスタル


世界遺産の橋そのもので検索を掛けてもWiki君には項目が存在せず、国名で検索を掛けたところ“ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争”を見つけたので読んでみたんですが、ところどころの単語に心当たりはあるものの見事に通しで理解が出来ず...orz
理解してみたい、と思いはするものの。
一体どこから、と考えると第一次世界大戦くらいからかなぁ。。。
第二次世界大戦からでもある程度はって気もするんですけども、うーん。


で、92年の小項目のところに“モスタル”の地名を見つけたので結局こっちに。


一番上に橋の写真があり、そして壊された(極めて簡単な)経過も、再建され始めた年もそれが完成した年も。世界遺産に登録された年も載っていました。
友好の象徴だった橋が落とされて。
んでもしかしたら、それだけが再建されるってのはものすごく、虚しいことだったのかもしれませんが、それでもやっぱり五百年の重みなのかなぁ。


橋と共に、心もやっぱり戻ってきたかもしれない。
もちろん完全にではないけれども、「橋があったから」じゃあないけれども、それでもやっぱり目に見えるものがあるってのは違うんじゃないのかなぁ。時には。
それが逆に憎悪を煽ることがあるのかもしれなくても。


この町の橋はいろんな条件でもってすげー奇麗です。
見た目も奇麗だし(理論も素敵よっ;)(すみません心配して...orz)、それを守り続けてきた人たちも。
もしかしたらこれから先は、落とされても再建されたってことすらも。
だってそうならない、修復されない土地っていっぱいありそうじゃないですか。