『美の巨人たち』植田正治「砂丘シリーズ」

変な写真。


美の巨人たち』:「砂丘シリーズ」
鳥取県植田正治写真美術館所蔵)


素直な感想を口にしてみよーと思ったらかくなる具合になりましたとさ。んで、写真に詳しくないことを一旦書いていたんですが、そんなふうに断るまでもなくウチは代々美術系の素養っつーものがなく。
一応私は理系と文系の相の子なんですが。
まあこれがどこをどう辿ってもさぁ、うんまあいいんだけどな。
血筋って案外そんなところが素であるよな、迷信みたいにも思われてるけど。


ということに絡めて語りたいことがあるわけでなく、単に脱線なんですが、しかしこのおっちゃんはなんというか「生まれ付き」なのではないのかと思えないでもないです。
砂丘の町で生まれて。
写真がやりたいなー! と半年ほど東京に行って勉強し。


帰ってきてから写真館を開いて結構繁盛したそうです。


ああ、写真ってそれか! と結構素でびっくりしました、いや、全然全然正しいんですびっくりした私が変なんです。ただ、番組タイトルが、、、っ。
(責任転嫁イクナイ。)




んで、わりとずっとアマチュア写真家として活動してたみたいですよ。
どっかで世界に「発見」されてしまったと言ってますが、その辺をどう思ってたのかは当人に聞く以外にないしー。面倒なこともあるけどたくさんの人間に見てもらうのってのも楽しい面もないかしら。


というか、「自由」を求めていたんだぁ。。。


みたいなことは直接声に出して言うのがなんかちょっと変だなぁ、というような気はしないでもないでもありませんでした。なんというのか自由という名の足枷というかなんというか。それに拘りすぎたらやっぱり道を外れちゃいそうというか。
まあなんというか、あんまり細かいこと気にしなかったというか。
評価の如何など気にしてもいなかったらしいです、好きなことをひたすらこつこつこつこつと、好きなことってのは砂丘で写真を撮ることですが。


いや、ソレがわかる人ってのは多いんじゃないかしら?
曲がりなりにも生産される写真ってぇ結果があって、しかも実際に国際的な評価まで得ちゃったから特異な人に見えるのかもしんないけど、昔から一銭の得にもならないことにウツツを抜かす馬鹿はおったわけで。


商売が商売なのでわりと金が掛からない。
そして家の仕事とも若干関係あるから宣伝にもならんでもない。
近所の子どもたちにも好評であるという彼のことを別扱いする気持ちはわかんないでもないんですが、気にする気にしない以前に評価を求める/求めないなんてい思考そのものがあっ
たとは思えないんですがネ。
とりあえず最近有名な“鉄ヲタ”辺りを例として挙げたいと思います。
人のこと言えるとは全然思ってませんよ、知名度落ちちゃったけど特ヲタもだいたい似たよーな位置関係だし。




で、すっかり忘れてたんですけども。
どんな感じに変なのかというと、ポーズ取ってんですよ、登場人物が。ほとんど必ず砂丘の上で、んでそれは近所の子たちだったりとか、自分の家族なんてのもあったりしたそーですよ。皆変なポーズ取ってるの。
自然かっていったらそんなことはないでしょう、と普通に答えるわけですが、別に写真がそうでなきゃなんないルールもないしね。いや、そういう写真を記録として持つ意味も当然あるわけですけども。


どうでなきゃ写真ではない、というルールはないというポリシーだったそうで。


まあ機能的にいってもその前にあるものをそのまま写すだけですね。なるほど、そういう意味では「自由」ってのは悪くない表現だなぁ。
作るものにルールがあったら邪魔くせぇもんな。w
いや、ルールがあって守るのも破るのもそれはそれで別の楽し(ry




砂丘の側で生まれて。
一生を砂丘の側から離れなかったそうですよ。


んで一生を変な写真撮って暮らしてたみたいですよ。
そして生活もなにも、人付き合いすらもその延長線上にあったかもしれない人だったんかもしれないス。それは今一連の写真となって残っているだけですねぇ。