『その時歴史が動いた』日本を発見した日本人−柳田国男「遠野物語」誕生

自分がびんぼーな子ども時代を送ったもので。


農家の近代化を願い、農水省に入り地方を廻り、そーしてその触れ合いの中で昔ながらの≪焼き畑農法≫を守っていたり、ルールを守った猪狩りをしている土地に出会い、そして民話を知り、その真髄を知った。


というところで全てなんではないのかと思います。
つーか、一番最初のところから別に矛盾とかないよな。


いやだって、幸せになるための手段としての近代化だし。
そうしなくても別の方法があるのならそっちでもいいわけですやん。
焼き畑も猪狩りも、要するに長期その土地で生きていくための知恵だし、一瞬の欲望で簡単に土地を使い潰してしまうことを、欲望を抑えるという以上の意味合いでもって抑制するというそういうシンプルな仕組みですよね。


ルールを守るということも一つの快楽なわけですし。
それが祖先から受け続けられてきたとなると尚更、まあ全く逆に、ルールを破り旧弊を一新するというのも快楽なのでいつまでも守られることばかりでもないのですが。
幸せになるのには半端じゃ駄目だよね。
無垢に疑いなくルールに従うか、ルールの仕組みから全てを知るか。




そして結局のところ、柳田氏が生きていた時代が過渡期だったということなのではないかということだと思うんですよね。
んで、彼が近代化の側のヒトじゃなきゃ駄目だったんじゃないかなぁ。


だってぶっちゃけ、元役人が民話の本を出すというのと、何歩か引いて研究者や、それこそ民話の語り部がピーアールするのとどっちがインパクトがあるかというと後者じゃん。リアルタイムで生きてたら絶対元役人の本に注目しますよ。
(実際にそれで売ってたのかは知らない。w)
いや、そこまでは行かなくても一歩引いた冷静な視点で。
余所の人間が認めるだけの価値があるのだ、というスタンスは「過去」を語り生き残らせるということにおいて重要だったんじゃないのでしょうか。


とか言っときながら柳田氏の本は読んだことないんですが。
つーか、結構彼以降、彼の選んだイメージで固定されちゃってねぇ、というような弊害も聞いたことがあるんですが(民俗学にも系統があるんだヨ)、それでもやっぱりなぁ。
とりあえず、彼がターニングポイントになったというのは歴然と事実なわけで。
もしかしたら私なんかは柳田氏がいなきゃ、全く聞いたこともなんともなかったかもしれませんね、故郷がそういう土地じゃなかったし。
今の日本人て結構な割合でそうなんじゃないでしょうか。




Wikipedia柳田國男


ああ、Wiki君の≪柳田批判≫の項目にもありますが、当人の意思で切り捨てられた民話もあるのだということですね。いやでも、それはそれで仕方がないのじゃないかなぁ、という気もしないでもないです。


んーと、切り捨てられたのは要するに影の存在、差別や性愛、同性愛なんかの話なんだそうですけど、なんというのか、それって取っ付きが悪いような気がするんですよ。あー、語弊がありそうだなぁ。
「受け入れられること」を確信してなかったんじゃないかなぁ、というか。
民話を聞く時にそういう影の部分を聞くことを排除してたとは思えないんですよね、なんていうのかそれは一段上から見てるというか、自分が好みじゃなくても避けなきゃなんない姿勢だと思うんですよ。語るほうにとっては、醜いものを排除するのは自分たちの暗部を隠してるよーなものだし公正明大なら話すでしょう。


あー、うーん、難しいな。;


とりあえずの延命を一番に考えたんじゃないかなっていう気がするんですよ、今から思い返せば彼が最初から完全なものを出していたほうが良かったのかもしれない。でもそれが世間に受け入れられなかったとしたら「残す」もなにもない。
やっぱり趣味も傾向もあったとは思うんですが。
選択していったということには、そういう意図もあったんじゃないか。


正確さよりも人間を守るための道具として見たんじゃないか、そしてやっぱり、近代化を望んだ頃からずっと同じなんじゃないかと思うんですよ。
人を救うために「昔」を民話を残したかった。


民話を救うために、というのとはちょっとだけ違う気がするんですよね。
そういう人がこの国における一つの学問を始めたかもしれないってのは、なんというのか不思議だなぁ、というか。
日本らしいなぁ、と言うのかな。