『美の巨人たち』南桂子「子供と花束と犬」

不変の、銅版画家? というのかな。
すでに有名な画家だったというご主人のところに、日本と、前の家族を捨ててまで嫁いだのだという女性の話。しかしなんだか、尽くす女というイメージはなかったです。


多分、旦那さんのことがほとんど語られてなかったからかな?


詳しい人ならわかるのかもしれませんけど、私には全然ピンと来ないし。
正直、この番組を見る人たちにそこまで期待していないよーにも思うのですが。




切れ長の目の少女、というのですが非常にシンプルな線で。
いや、銅版に線を刻むのだからそれもそれで道理なのですが。w
最初に一枚だけ見せられた時に「なんだかなぁ」と思ったのが、ちょっとまあなんというか本音でした。簡単な、なんだか“学級だより”にでもちょっと使われてそうというか、いや、なんかそれもそれで各方面に失礼な言い方のような気もしますが。
いわゆる芸術、というものには見えなかった。


そもそも私にはさして見る目というものがあるわけではありません、つーかそれって多分、養わなくては育たない感性のよーな気がするのですよ。
鍛える、というのかな。
今、こういう番組を見ていますが、天才と言われる人らの、それこそ本気で波長の合う作品くらいでしかなんにも感じない。
レビューを描くってのがすでにデータとして捉えているということにもなります。


絵画には少し「慣れ」ましたけども。
銅版画の価値なんてわからない、一本のシンプルな線だけで構成された(実は何本もの線ではありますがそういうことではなく)、余白の多い、全てのフォルムがデフォルメされた絵の良し悪しの判断できねっすよ。w


ずーっと彼女の人生を語っていました、最初の画家だった旦那さんと結婚して。
娘さんも出来て。


でも高名な芸術家の「奥さん」になるためにフランス(だったっけ?)に行ってしまったという、でもその間のエピソードとかほとんど語られないんですよ。
なんかフツーの芸術家としてのステップアップかってくらいにさらっとしてたなぁ。
そもそもその最初の旦那さん、懐かしそうに彼女のこと語ってたし。




んで、彼女の絵の傾向は生涯変わらなかったそうです。
モチーフも、もちろん少しずつの変化を加えてものの、初期の頃と晩年の頃のを並べられてもなんも知らなかったらどっちがどっちかわかんないんじゃないのかなぁ。
ちょっとのぺーっとした顔の。
切れ長の目ってのも要するに曲線だし。


少女たちの手ってのも鈎棒みたいな省略っぷりですよ。


その時々によって花束を抱えていたり、犬がいたり、背景に木があったり二人いたりするんですがいっつも同じ格好、同じ表情、同じ髪型。木も犬も、少女たちと同じようにほとんど円と線だけで出来ているようなシンプルさです。
そして画面は埋め尽くされることはなく。
ぽつんぽつん、とお互い関りあうことなく置かれているだけ。




Wikipedia浜口陽三


ああ、旦那さんも版画家さんだったのか。
駆け出しだった彼女はパリに行って、この人の芸術活動を支えるために主婦として生活していたのだといいます。台所の隅に狭いテーブルを置いて。
時には夫が寝静まるまで待って作業をしたんだともいいます。


でもなんだか、尽くす女だという気はしないのですよ。


それは単純に、夫である浜口氏のことがほとんど語られなかったからというだけのことなのかもしれません。それとも、強い意志があるよーに見える、少女の表情が印象としてあるからかもしれません。
うん、なんだか不思議とたくさん彼女の版画を見続けているうちに、そして「変わらないのだ」と繰り返されて、彼女の人生を教わっていくうちになんだかその価値がわかるような気がしてきたんですよね。


雄弁じゃないんだけど、彼女自身も語らないんだけど。
“少女”たちの表情はいつも同じで変わらないんだけど。


「永遠を知っている」と彼女の版画につけられた詩のフレーズに、そうなのかもしれない、と思うことが出来ました。
なんだかそう感じるのは楽しかったなぁ。w