『天保異聞 妖奇士』説七 竜は雲に / 説八 狐芝居

やっぱり締めの話はかなり良いんだよなぁぁ。


あとそこから遡ると、どのエピソードにそれぞれどんな意味があるのかもわかってくるんですけど、しかしやっぱり中がちょっとなぁ(滑り出しに問題あるとは思わない、ちょっとスタートアップ遅いけど堅実)。しかし「事態が見通せない」ということ自体は別に問題があるわけではないし、謎は魅力の一つだよな。
そうなると、なにが引っ掛かってるのかなぁ。。。
これ多分、私だけではないはずです。


人物の描き込みはちゃんとしてあるから、それを感じてるのはそもそも設定を読む系の人だけでしょうし(しかしメインターゲットも同時にそこになるはず)(キャラクタ萌え系の人にとっては展開容赦ないこともあるし)。
どちらかというとヲタは辛抱強いわけなのですが。


というわけで、断りもせんと構成脚本さまの話でした。
えーと會川昇氏、と。しかし漢字変換ないと不便ね(登録しましタ)。




7話は龍つながりなのか「雲」と南米の失われた神、ケツアルコァトルの話の締め。
8話はなんだったっけか、巫女さんでもある男装の女の子のエピソードの開始。


導入話は相変わらずいいとして(設定の見せ方がいいとは思う)。
7話の少女アトルの決着も、昔の雲七とゆきさんの話も、そこに絡んだ女性の落着する地点も納得が行きました。しかしやっぱり、それを頭に入れて6話までを思い返してみるとその時点では、アトルの話にとっては雲七が、雲七にとってはケツアルコァトルが正直異分子に見えるというか、どっちの話も悪くないのに阻害し合ってたというか。
ぶっちゃけると惜しい。


まあ、「言霊」を媒介にするという話自体がちょっと相当にヲタじゃないとわかんないわけなのですが、たまたま知識を持ってても特に推測を働かせるってことはしないしなぁ(あとから見たら全部知ってはいた)。なんていうのかたかがアニメで面倒いじゃん。
キャラクタ同士の相克関係とかなら補完くらいはしますけどさ。


しかし8話はもう設定なんて吹っ飛ばして、「少女アトル」までしか助けるべき存在だと認識しているゆきとあやしたちが堕ちた神、ケツアルコァトルを追い。自分が犠牲になってでも、昔自分のことを救ってくれた、自分が呼び出してしまったケツアルコァトルを助けたいアトルと。
相変わらず微笑んで「私ならどうにか出来るかもしれない」と言う雲七さん。
自分が殺されてからあと、それがゆきさんの作った幻影なのかもしれなくても微笑ったまんまで。ゆきさんの思惑をも越えて、助けられるものを助けようとするっつーのは。
(ゆきさんには関るなって言ってたくせにな。w)
幻影に過ぎないのかもしれなくても、そういう存在だとゆきさんが雲七さんのことを思っていたのだろうということで、これはどちらであっても悪くない話というか。まあどっちでもいいじゃんと思わせてるのはすごく正しいと思うんだよな。




ケツアルコァトルまでが助かるっつー、ハッピーエンドに至るまでも。
ご都合主義って気がしなくてとても良かった。
設定は正直、どうでもいいっつーか、こういう理詰めのものをフィクションで見るのはあまり好きではないんですが、そういう人間にも結構面白かったっすよ。


しかし後から考えても途中経過は面白くねぇ。w
雲と龍が同一カテゴリなのは言霊っつーよりか多分中国の五行だろうし(風水にもあるんだっけ? 日本だと陰陽道が風水の流れを組んでいるはずだけど、属性どうこうってのは四神以外あんまし一般的ではなくないか)、んで南米の神っていったら全部知ってる人のが少ないし、全部知ってたら神話のちゃんぽん設定が出てきても嬉しくない。
(だってマジ趣味じゃん、そこまで行くと。)


やっぱり理屈の上では、「なんとなくわかる」ラインで通すべきだたよなぁ。
知識あったら説明されなくてもわかるというっちゅー、先読みをする人はいるけど、その場合は全体にもうちょっと一貫性ないと。。。


すみません、しつこすぎますかそうですか。自分でもそう思う。
ちなみに必要知識を全部持ってたくせに展開がさっぱりわからなかったから逆切れしてるわけではありませぬー、いや実際書いてたらちょっぴりムカついたのは事実だけど。w




でもやっぱりいい話だったと思うんだよな。
助かるってことがわかってたはずなのに、結構心配もしたし、意識の食い違いにちょっと寂しくなったりもしましたよ。んでそれらがなーんとなく総括されて、多少はやっぱりうやむやになって。
そもそも雲七さんやアトルちゃんどうなるんじゃい。w


とも思ったけど、まあ将来に期待することも出来ますよ。
ただそれまでにはやっぱり、色んな苦労があるんだろうなぁと。