第15話「怪奇宇宙菩薩」

切通さんっつー、わりと有名なウルトラ系の本の著者さんがいるのですが。
その彼が四人の脚本家を通じての一章の中に触れられていたのがこれ、本のほうが先立ったのでその印象が強く。ああ、これか、と少し胸を痛めて見始めました。


物ぐさな子どもは両親の復讐の間だけ「生きて」いて。


そして全てが終ると元通りになってしまうのだ、という。それはなんだか悲しいじゃないですか。憎しみを抱えている間だけだなんて。
あーなんだー、こういう話かよー(ちょっと)。
いや、両親の復讐の間、やけに積極的で全てが終ったらそうでもなくなったのはその通りでしたよネ。でもまあいいじゃんなこれはこれで。
爆弾作って観音さまにぶつけてたけどさー、なんかそれが良い悪いっつーもんでもなかったじゃん。てか、掃除やら手伝いやらやってたのは気晴らしっつーか、生きていくために必要だったからじゃあないでしょうか。
だって親と違って無条件に庇護与えてくれるわけがないし。




なんというのかこう、最初から強かな少年だったんじゃないでしょうか。


んでもって、もしかすると宇宙人よりか観音さまが嫌いだったんじゃないのかなぁ、宇宙人を憎んでいた様子があんまりなかったのだもの。確かに宇宙人は怪光線を出していたわけだけどもさ、それも観音像がなければ少なくとも彼ら家族の前には現れなかったかもしれないし。つーか、ご両親のことを悲しんだんだろうか(いや、それは当然あると思うが)。


なんとも不思議な余韻の残る少年でしたことよ。
純粋とかの言葉が似合わないっつーか、近視眼といえば近視眼なんだけど、どっかしらで全部わかっているというか。しかしわかっていてもそれに動かされないというか。


ほら、作劇上の都合かもしんないけどさ。
そもそもなんで「光三が来てた」夜に爆弾抱えて抜け出したりするわけさ、別に三男が帰ったあとにすればいいだけじゃん。


壊したかったんじゃねぇの? やっぱりさ。
でもそれがいろんな意味でそんなに利口じゃないってことはわかっているような気がするというか、そーいう子どもだった気がするんだよね。偶然そうなっちゃった可能性ってのは(エピソードの兼ね合わせで)もちろんあるわけだけど。
市川森一氏だしね、この話を書いたのね。
矛盾を抱えた頭のよい、しかしそれがほとんど役に立たない。
己を持て余した少年くらい描くんじゃありませんか、この人なら。こっそり。




話はシンプルで。
新幹線に怪光線が浴びせられ(たというのも件の少年が見てたからあとでわかった)、転覆、なんでかわかんねー、と思ってたら津山研究所に手紙が来ました。


「怪奇事件を専門に調べてるって書いてありました!」(by少年)
いや違う、単に主に向こうからやってくるのであって別に兄弟たちが望んでるわけではないっす、というか関わりが世間に公表された話なんてそんな数ないんじゃ、、、?
という細かいところはともかくとして。
誰も周囲は信じないけれども、でも自分たちだってそうだった、宇宙人に付け狙われているってのを誰も信じてなかったのだと、だから僕は信じてみようと思う、とそう言って光三は出掛けて行きます。
(そしてリカちゃんも付いていくという。w)


つーか、観音像が動くくらいで別に今更驚くべきではないのでは、兄弟よ。
信じる信じないはともかくとして、当然ありうるという考え方しないんでしょうか。なんでまたそんなに懐疑的なのかがさっぱりわかんないんですが。
やっぱり生活が安定しちゃったからかなー、なんかなー。




で、光三は観音さまが動くって話と。
ぶつけるためにと用意された爆弾を見せられたわけですよ。


さすがにリカちゃんやら少年やらの前で、普段のよーな無鉄砲ぶりは見せられるわけもなく、「事態を把握しにきたのであって破壊しにきたわけじゃないよ」と諌める側に廻ります。でもなー、なんかあったら壊すよなー、光三は。
しかしまあ、少年がそれやっちゃあ不味いってのは誰でもわかりますしな。


で案の定宇宙人でしたよと。


なんか強かったらしくて、光二兄さん(今回はどーやって駆けつけてたっけなー、忘れた☆)が梃子摺ってたらしーっすけど、なんか春雷があって助かったと。
観音さまのお陰ねー、なんて呑気に話してました。


で、少年はというと、、、うんまあ、上手く生きろよと。
(もうちょっと長期展開で楽に生きてくことを考えるべきだよな、先々は。)