#510 チャビンの考古遺跡(ペルー)

どーも≪チャビン文化≫というものが存在してる模様なんですが。
(正確に言えばそう定義されている文化が。)
なにぶんにもWiki君に項目がなかったので今回は以下。


Wikipediaプレ・インカ


なんでもインカ帝国以前の、アンデス文明のことをこう呼ぶらしく。
てゆか≪アステカ文明≫と混じってました...orz
アンデス文明が南米、アステカ帝国が北米南端のメキシコ、、、名前が似てるってほどではないんだけど、印象が混ざったのはそのせいか。;)




というわけなので、今回ほぼ完全に記憶頼り。
なんだったっけか神殿があったような気がします(気て)。
そもそも文明ってのは後付けとゆーか、後世の人間が勝手に付けた区分でそうそうきっぱりと別れてるわけでもないんですが。


だったら逆に「文明」と括られるのにはそれなりの理由があるとゆーか。
今は区分が人為的だって意識が教科書レベルにまで浸透してきたこともあって、最近の定義はかなりはっきりした内容だったりしますね(証拠の物品があるというか)。
(この話で母親と喧嘩したことあるなぁ、遺跡が何々文化って区分されてないことはありえない! と三時間ほど頑張られたっス)(要するに現代のことを東京文化と呼んでもおかしくないけど我々はそんなこと意識して生活してないじゃん。)
(教科書に乗るために生きてた人なんていないでしょうというか。)


(で私は一体家庭でナニを話しているんですかというかー。)


とゆか伝聞資料がないんですよ、アンデス文明はもちろんだけどそのあとのインカ帝国ですらろくすっぽ。全く人種が違う上に、他文化否定の傾向がちっと強めの西洋、スペイン人に征服されたことと、あとは文字文化じゃないから、かなぁ。
伝承文化で滅ぼされてしまうとどうもならんよな。。。
文明の保存なんて考えてないってのはまあしょうがないことなんですが。




なもので、この回で主に紹介されてたのは。


地下道(おおあったんだ、気付かなかったよーみたいな)と、ほら貝(多分楽器だねこりゃ)(地下で吹くと響いたと思うなーとか)、この土器はどこそこで作られたものですよ、遠いのにすげーっ。
今まで考えてたよりもずっと支配範囲が広かったってことですね♥
みたいな感じ。


なんとなくアレを思い出しました、始皇帝兵馬俑
あれなー、なんでか『史記』その他の文字資料に載ってなくてかなり唐突に見付かっちゃったもんでともかく埋葬品から直接情報を読み取るしかなかったわけですが。


案外(地下道発見の経緯は特に言ってなかったけど、研究自体の発展じゃないかな、地元民が偶然って土地でもないしそれなら一言言及してそうだし)、そういう余所でのそれこそ民俗学やら発掘そのものの経験の蓄積が役に立ったんかもしれません。
特にどこそこ地方の特徴とか土だとかは(形式同じだけだと絞れません)、土器自体の情報がすでに知られてて、分析技術が上がらないと特定はできないもんなァ。


てか基本的に神殿への供物の土器(地域特定可能)がかなり遠くから!


というだけでそれを一つの文化括りにするのも違和感があるという話をしようと思ったらなんかエラく遠回りをしてしまったわけですが。
番組もそもそも学説が変化したんですよー、みたいな展開だったので。
多分これからもいろいろ動いていくんだろうなぁと(遠い目)。


今まで支配地域がもっと狭いと思ってたんですよー、なとこから、土器で(捧げ物)もって影響のあった地域が広かったと判断されたわけです。
支配とは限らねーじゃないっすか、少なくとも補足情報にはなってもそれだけだとちょっと決めてしまうのも無理がありそーな気がします(ぶっちゃけ他の遺跡から同じような内容の捧げ物が見付かってもおかしくないっつーかw)。
(量的なものも判断材料にあったとは思いますが。)
政治に関係なしに神殿が尊敬を集める例も。
神殿が実支配を及ぼす例もあるからどっちとも言い難いよなぁ。


てかなんか正直情報少なくなかったっスか?
ぶっちゃけ、遺跡は見付かったんだけど研究はまだみたいなニュアンスにすら聞こえたんですがー、いや、謎の多いんだろうアンデス文明の遺跡だったら貴重でしょうが。


なんかこの回もちーと消化不良感が残りました。
インカ帝国絡みの時は古い説との対比でも結構良かったんだけどなぁ。
(なんか今の段階で学説が出てる最中みたいに聞こえたのです、こっちは。)