『美の巨人たち』竹久夢二「水竹居」

竹久夢二47歳の時に、産業美術(ってナニ?)を学ぼうとヨーロッパに行って、ドイツで宿を取ったところのお嬢さんをモデルに描かれたとゆー一枚。


美の巨人たち』:「水竹居(すいちくきょ)」
(東京都文京区・竹久夢二美術館所蔵)


(リンク消えないかな、いつもWiki君につないでるのはそういう心配で。;)
当然のことながらアレなんですか、現地人のドイツの方なんですが、なんでか黒髪に丸髷結って着物を着て、竹林にいたりするわけですよ。夢二お得意の振り返った構図だし。
彼女、お礼って言われても、なんか複雑だったのと違うかなー。
いや、逆に珍しいものって思ったのかなぁ。
(まあ、少なくとも有名画家っつー感慨はなかったよーな気はするけど。)
「なんで私なのにこんな格好を?」とは聞ーていたようです。


まあ十中八九、単にそーいう好みなんだと思うけどな。




そーいや、この人、二番目の笠井彦乃さんのあとにけっこーな美少年な弟子を取ってて、それが一連の女の人に顔まで似てたっつーから(本人にもなんかそう言ったらしい;)(省くけどこの人物もそこそこ名前が残ってる人でやす)、本当になんつーか好みがきっぱりはっきりしてたんだろーなというか。。。
芸術家で良かったねというか...orz


つーか、「君を桃源郷に連れてってあげるよ」とそのお嬢さんには返事していたよーなんですが、東洋人(でも若い人なんかだと知らんのと違うか)でもないと“桃源郷からしてなんのことかわからんのじゃないかなぁ?
いや、この絵はわりと好きなんだけど、なんかいまいち馴染めないというか。


桃源郷を求めるっていう姿勢自体はさー、なんというか微笑ましいって気はするんだ、そもそも戦争を嘆いてってのは私ら現代人にだって理解できると思う。
ただ、それを共有できるかっていうと、なんか感傷的すぎて駄目というか。
そこまでならいいんだけど、人と共有しにくいことを自覚してたんかなー、と番組を聞いてて思ったんだよね。
言ってることとやってること違うじゃんというか。




――あの人には、生活を芸術で埋め尽くしたいという夢がございました。


と彦乃さんの台詞として番組が言わせてたわけですが(多分日記とかそういう言動があったとか、そーいう元があったかと)、それだと、夢二さんの“夢”として語っているのであって、彼女がそれに共感したってぇことじゃないわけじゃないですか。
戦争への嘆きっつーのも微妙にちゃんとした色を伴ってないというか。
なんかふわふわとした「人間の愚かさを嘆く」というよーな浮き世離れでもしてたよーな印象があるというか。


いや、彼を否定したいってんではなくて。


なんていうのか、冒頭で書いた夢二がヨーロッパに学びに行った“産業美術”っつーのはちょっと調べただけですがアール・デコ、実用品でありながら芸術品であるっつーような様式のことではないのかと思うんですが。
こんな、地に足が付いてない感じの人が抱いて叶えられるんかなと。
人に夢を見せたいっつーのは、自分が夢を見ることとは違うものだと思うんだ。


むしろ、人に夢を見せたいのならば、多分騙さなきゃなんないんだと思うんですよ。ちょっと人聞き悪く聞こえるかとも思うんだけど。
てか、芸術品っつーかぶっちゃけ民芸品じゃねぇかと。
(芸術で生活埋め尽くすなら岡本太郎みたくなバイタリティがいると思う。)
(この人にゃ無理っしょ。)
つーか、本気ならば売るんじゃなくて、作ることを奨励するべきではないのかしら、とか、いろんなことを考えてしまいましたよ。




繰り返しますけど、彼の絵の否定ではないんスよ。
んで、夢や嘆きが変ってぇわけでもないんですよ、芸術が生活に近いものであって欲しいとか、戦争を嘆くってのが悪いことなわけがない。


そういう彼を愛した女も、同情した周囲のこともわかりますよ。


ただ彼の描く「見返り美人」を見ていてそーいう彼と結びつけるのは難しいというか、彼の絵って現実に対する虚構として受け入れられていたよーな気がするんだよなぁ。
つぅか、竹久夢二自体が“夢”っていうか。


なんとなく全体的に歯車がちょっとずつズレていたよーな感じの人で、けどそれが彼の絵、流行もなんも少しも関係ない流されていない、ただただはんなりと奇麗なだけの女性を成り立たせていたのかもしれないって思うと。
(んでなんか現実的な夢もむしろ世間との乖離を増長してたかもしんない。)
なんか芸術って残酷なこともあるなぁと。