「滝沢馬琴(上」杉本苑子

「滝沢馬琴(上」
 杉本苑子、文春文庫(1977.01)


Wikipedia渡辺崋山


あ、へー、作中のエピソードって本当だったんだ。
馬琴の息子が若くして死んでしまった時に、もともと友人だった画師(兼お役人)(で芸術家としてもがっちり名前が残ってるとなるとかなり相当な;)に、その肖像画を頼んだら彼はお棺を開けて顔を触れて骨格を確かめ。
焼かれた後の骨まで観察したという。。。


(小説内では焼かれた骨の部分は省略。)
あれ? あれ、これフツーの友人か?


写実に拘るってことに重点置かれてはいたんですが(小説では馬琴さん喜んでたけど、常識的に考えてちょっと行き過ぎ;)(Wiki君では怒ってたとなってますが、そっちのほうが妥当だろう)、だって、知り合いの高名な作家の息子に対してそこまでやんなくても。
つーか、生前を忍ぶための絵じゃんそれ。
無縁仏なりなんなりを引き取っていくらでもやりゃいいのに。




というところからいきなり始めてしまいましてすみません。
滝沢馬琴の他にもやったら有名人が出てますものの、「あー」とまで思えたのは私はこの人だけだったかなぁ。
学者だとまあ多少は知識があるんですけど(中国絡みで)。
いやさすがに葛飾北斎くらいは知ってますが、この人の場合は有名すぎて脳がスルーしたというかなんというか、曲亭馬琴の挿し絵してたとは知りませなんだ。
(喧嘩しながらも良い仕事仲間だったが途中で袂を別ったとか。)


や、いやいやいやいや、江戸の曲亭馬琴を題材にした小説です。
一番有名なのは『里見八犬伝』なのかな、やっぱり?
これはわりと最近までまともな翻訳がなかったもので(わりと昔からある岩波文庫のはカナ遣いを変えただけのほぼ原文;)、ちょっと自信がありませんが、正月ドラマにもなってたし問題ないかな。


なんで息子からレビューを書き始めたかとゆーと。


やっぱりなんだかんだと、彼の人生に影を落としていたのは、ひどく腺病質だった彼の息子だったからなんじゃないのかと思うんですよ。そりゃ、馬琴の性格には難があったし、物事に拘りすぎるところは嫌われてはいたでしょうが。
だからってれきとした能力のある彼が不幸になるほどでもない。


つーかこの頃の文豪(多分単語の使い方間違ってる)やら画家どもは皆なんかおかしいです、どいつもこいつもアク強すぎ。
なんとなくその辺、近代明治期思い出しますね。
(画家と作家がほぼ対等に付き合ってるのもちょっと近い。)
むしろ若干、付与されるエピソードで競い合ってるとゆーか、噂になったもん勝ちというよーな風潮があったのかもしれません。


(馬琴はそーいう目立ちたがりのとこはあんまないんだけど、純粋に変わり者。)




いろいろな付き合いやら、実生活費など、事細かく書いているところはさすがに女性の作家さんだなー、という気がします。そこも含めて充分面白いしね。
デモンストレーションをすることによって金銭が稼げるっつーのも始めて知りました。
(絵を書いたり、作家は講演会つーかサイン会みたいなものかな、寄付が集まる。)


もともとちょっと軽い流行があった読本の世界に合わず。
じきに来た重い流行(面倒だったり複雑だったり)のおかげで命拾い。しかし本当はもともと学者になりたかったのだそーです、馬琴さん。
その名残りでものすごく細かく拘るし、それを人に求める。
作品が当たって売れ出してからはともかく(これだけ時代がたってもちゃんと残っているんだからね)、それまでは大変だったろうなぁ。


そーいう苦しい生活の中で、奥さんをもらいましたが。
性格なんぞはともかく、生活を支える役に立ってはくれたみたいなので、わりと生涯大事にしてたっぽいです(悪気はないんだけど、なんつーかあまり学がないというか;)(馬琴さんとじゃあ合わなかったろうなぁ、普通の男に嫁いでればまだしもだったかもしれませんが)(夫としてはほとんど粗はなし、面白みもなし)。




あとは周囲の若者らの細々としたエピソードがわらわらと。
息子が死んでしまったこと、馬琴さんが右目の失明なんかがメインかな。
(いや、わりと失明なんかに近い時期から始まってます。)
(んで徐々に過去の馬琴の経歴を語っていったような造り。)


とりあえず、馬琴の親戚筋と関ることになった不思議なお姉さんと、その過去の事件が途中なまんまで下巻に続いてマス。