#509 アウシュヴィッツ強制収容所(ポーランド)

Wikipediaアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所


わりと悪名高いんですが、てか、この地で起こったことはほとんど全部知っていたんですが、、、ポーランドの土地でもとが“オシフィエンチム市”という名前だったということなぞは本気で聞いたことがなく(一度聞いたら私は覚えます;)、とりあえず自分が情けないのだとしてもなんか日本人の伝え方ってのも疑問があるというかなんというか。
一部がぽこっと抜けてるんだよね、たまに。


そしてここは≪負の世界遺産≫に分類されているそーです。
(うお、南アフリカのロベン島見たい!)




まー、ここではナチスがどーやって隆盛してったとか、どんな感じで政治を進めてったとか、どうやって道を踏み外していったかとか、そんなことはまるで語られてません。
まあ有名だからその略し方は問題はないと思うんですが。


なんか唐突に巨悪がいた、という風情ですらありました。
ちと行き過ぎかな?


例えばユダヤ人たちの髪の毛を刈り込んで絨毯を作ったり、確か人間の脂肪から作った蝋燭もあったんじゃなかったっけ、荷物はどうせ殺すのだからと無造作に取り上げられ、金歯も指輪も取り上げてたんじゃなかったかなぁ。
(あ、でも金歯は残ってる人もいたな、全員ではないのかも。)
(てか労働者で残す人からはさすがに歯までは抜かなかったのかな。)
いや、私は全然困りませんが、どーせほぼ全容知ってるし、のくせポーランドだったってことは知らないんですが...orzうーん


ただね、人間の中に、それこそ私なんかですら、誰しも「そちら」側に行く要素ってのはあるからこれほどまでに大規模なことが行われていたと思うんですが。


なんていうのかな、獣の蝋燭も毛を使った絨毯もあるわけじゃないですか。
そして戦争ならば略奪も殺害もある程度は当然のこと。
太古の昔になると戦った相手を殺して喰らう文化も少なくないわけです。




なにが、そこまで、アウシュビッツ強制収容所(元の地名のドイツ語読み)という土地をほとんど誰にとっても忌諱すべきことだと思わせるのか。
多分ですか、なんていうか(そしてこの番組を受けて語ることかもわかりませんが)、それはシステム的なところなのではないかと思うんですよね。


残酷さ、みたいなものとは多少なりとズレるではないか。
例えば興奮の中で髪の毛をむしり取ったり、体の一部を飾り立てていたとしても、、、いや、なんとなくそれは同じかなぁ。


上手く言えないんですが、感情の高揚の中での瞬間的な残酷さって必ずしも、つーかここまでの嫌悪感は引き起こさない気がするんですよね。数が多いとかそれだけでもなくて。
(失われた、ということ自体にまず感情は向かうんじゃないのかな。)
ただ、この強制収容所は、システム的に、そして全くの他人が聞いていても「利益」という目的において理に適っている理論で人をすり潰し減らし続けました。


んで、その動機が、人種っつーそれだけのこと。
ユダヤ人に限らず、幾つかの移民、漂浪民族のロマやら障害者、同性愛者なんてのもターゲットになっていたそーです(戦後にユダヤ人のみが有名になったのはまあ複数の理由がありましたが政治的な面と、多分それ以上に数が多数だったこともあるんでしょう)。


つぅか、人種っていうけど、彼らが漂泊を始めたのって2000年弱前なんだ、もう混ざり合っちゃってて自分らと見分けがつかない。数世代ってわけでもない。
コミュニティ意識が強かったから探せることは探せるけど。
見た目や生活や言語(だって生まれた時からドイツにいる)ではほぼ見分けるなんてぇことは不可能、実際、看守たちにすらユダヤ人の友人がいて当然だったようです。だってご近所だもん。フツーに暮らしてたもん。


そゆこともこの回では少しも語られませんでした。


ひたすら、その後の残酷残酷残酷なことばかり。
積み上げられた死体、働けること以外の選別をなにもしない死者選び、青酸性の毒ガス室、子どもが生かされることはまずありえなかったということとか。


なんとなくだけど、負の世界遺産ってそーいうことじゃない気がする。
過去に起こった出来事を教訓として、これから同じことを二度と引き起こさないよーに、というのならば、それが誰であっても多かれ少なかれある、自分たちが加害者になることだってあるのだということを自覚してなきゃなんないんだと思うんだよな。


ただ、今、ポーランドのその地の彼らは「アウシュビッツ」と呼ばれることを嫌がっているのだそーです。それは自然な感情というか。
そこまで背負うことは確かにないよな。
それを知ることが出来たのは個人的な収穫でした。