『DEATH NOTE』STORY #001 新生 / #002 対決

なんだよこれ、面白いじゃんかよ。
実は、というかあんまり見るつもりはなかったです。ただまあわりと原作のLは好きなもので、面白いという評判が聞こえてきたら見ようかな、と思ってました。
井上敏樹氏が構成脚本かー(これで一度迷った)。。。


なんというのか、私はこの人の描く人物が世間から弾かれてる時には結構好きなんですよね。つーか、好きでない場合でも充分評価に値すると思ってますよ、その辺は誰がなんと言おうと。
しかしいざ受け入れられる展開になるとどーにも雑雑でキッついんだ...orz


なんちゅーか、あんましそっちに興味ないんじゃないかなぁ。
昔、ヘルマン・ヘッセとゆー小説家の本読んでたらほぼ自叙伝なのにラストで主人公がでーっと水に流されっちまったんですが(別に当人死んでねぇ)、物の作り手(に限らんと)には一定数「そういう欲求」が備わった人らがいるよーな気がするというか。
世が世なら絶対純文学書いてたと思うんだよな、この人、つくづく。
(今の純文学では無理なんじゃね? 目的が全然違うもん。)
破滅願望っていうかなんというか。




私もともとは月嫌いでした、だって面白くないもんコヤツ。
まーでも結構、Lが好きっぽかったから見直してたのにさー(好きなキャラクタが好きな相手のことはなんか好きになる性質です、なんやそりゃ)。


やー、でも、井上氏の描く月かわえー♥


いやなんか見事に若いが故の可愛いらしい勘違い、誰にでもあるし(多かれ少なかれ)、上手く折り合わないと一生引き摺ってしまうというアレですよねぇ。
原作のリュークのが無邪気で好きだったけど、月への突っ込みが非常に性格悪そうなのでこれはこれでいいかもしれん。てか、ほぼ台詞廻し一緒なのに性格が違って見えるのが不思議ですわ、喋り方とかその辺もあるのかな?
演出や間もあるんでしょうね。


デスノート”という名前を書くと人が死ぬノートが空から降ってきました。


んで、なんでかしらん、月がその瞬間(なにもないところから落ちてくるところ)を見ていました、地面に着いちゃうとただのなんの変哲もないノートにすぎないんだけどね。拾って持って帰って、内表紙に書いてある文面に目を通しました。


で、性能を知って殺しを行うまでと、その後でそのノートの持ち主の死神が月の目の前に現れて、んでもって月が滔々と今後の計画を語るというところまでがだいたい1話。
(すでにその間にかなり計画に沿って殺してるわけですが。)




なんというのか、フルネームと正確な表記が必要、顔も知らないと駄目☆
てのは、それ自体はなんやらよーわからんルールではありますが(ゲームっぽいよね、リュークが決めたんなら面白い気はするが)、しかし失われた、己が手で命を奪ったということに対する悔恨も含めて。
どっかしら自己陶酔の一部っぽく描かれてておもしれー。w


クラシック音楽に乗ってノートに名前を書いてるシーンも、違和感がないというか、さすがに実際に音楽掛けてやってたわけではないんだろうけど、ぶっちゃけやっててもあんまり不思議はないというか。
澄ました浮かれっぷりがらしいっつーかなんつーか。


んで、忘れてましたけど、極悪人を殺して殺し尽くして世の中を善良な人たちだけにして住みやすくするそーですよ。「そんなことしたら、性格悪いのおめーだけになっちまうぞ」(byリューク)だってさ。まあ心配ない心配ない。
力で支配された社会に生きてりゃまた別の歪み方ってのがあるもんさ。




つーかそういう目的なら本来別に殺し方なんてなんでもいいわけで。
不思議な力を持ったノートなんてなくてもいいわけだけど、その場合、どーしても反撃を喰らうなりなんなり、目的は達成し続けらんないわけじゃない? 次に殺されるかもしんない人間に殺されちゃうわね。当然。


サッカーで手を使うと、他の人らも手を使う。
単に別のゲームになってしまう、というのに近いかもしんない。


なので2話。
「この世界」に“キラ”と呼ばれるよーになった月の行く手にLが現れる。
そうしないと話が進まないわけだしね。
少なくとも楽しいエンターテイメントにはあんまりなんない。


んで、普通というか、大抵の話のよーにそのライバルが別の不可思議な力を得て、ではなくてあくまで人間の力の範囲内というのが新味かしら(一般人とはまあとっても言いにくいけどね)。