#508 グアダラハラのオスピシオ・カバーニャス(メキシコ)

――200年の役目を果たし。。。


と、ナレーション君が言った時に、正直なんのことやらちょっとわかりませんでした。孤児院(その他もろもろ)が運営出来なくなったというニュアンスに聞こえない。
そもそも、それなりに限定使用の建物の項目あるかな?
と思ったんですが、世界遺産の絡みなのかばっちりありましたね。


Wikipediaオスピシオ・カバーニャス


こっちを読んでも、なんで「役目を終えた」のかわからない。
余所から文化系のなにそれが移転してきて、そのまま多目的文化ホールとして使われるよーになりました? みたいなことが書いてますが。それはひょっとして事情が相前後してたりするんじゃねーんですか。
だってフツー、孤児院に越してくるのかそんなのが。
(空いた建物の有効利用っつーんならまことに妥当な内容だと思う。)




ねえつまり、貧しい子どもたちや、親のない子どもがいなくなったから。
んでもって病気の子もいなくなったからこの“オスピシオ・カバーニャス”は役目を「終えた」ということになるんですかい。なんないよね。日本ですらいるんだもん、なにも南米・メキシコに偏見を持ってるわけじゃないけど、総中流の(しかも下流ったってたかが知れてる)この国よりかそーいう子どもが少ないって思えないけど。


ならば、どーしてそういう言い回しになるのか。


実際に自然消滅的になくなったからなのか、ゆっくりと外からやってくる子どもたちが減っていったのか。その辺のくだりは特に語られなかったよーな気もします。
もしかしたら、ほぼ同じ機能を持った施設は今もあって。
ちゃんとその替わりをしているのかもしれない(しかし語られない)。


いや、うん、ないわけがないんだ。どう考えても。
つーか私は一体、なにに拘っているんでしょうか。全ては確かに説明されていないとは思うんですけれども。




そもそも、このオスピシオ・カバーニャスは戦争に絡み作られたようです。
誰か、宗教関係の人だったのかなー、一人の人が中心になって体の不自由なお年寄りでも行き来が楽なよーにと全て平屋作り(一階建て)。
戦渦から逃げ込んでくる人らのために、炎の意匠の天井の壁画。


家族が多すぎてここに来ることになった少女の話。
たった13歳で家族と別れて、家族と別れることは大変に悲しかったけれど、それ以外のことは天国のよーだったと、今は30歳の、後半だったかな? そんなふうに語っていました。つまりその頃には機能していたわけで。
そこには同じよーな境遇の子がたくさんいて、彼女を慰めたのだと。


そしてその施設で、自立するための学習を受けたのだと。
一度結婚して離婚した今も、その施設の周辺で働いているそーです。


なんてのかな、「誰が」というのが語られなかったのが不思議だったのかもしれません、国なら国が、と言えばいいのにそーならない。その施設から巣立っていった先人たちがそこを支えていたということになるのでしょうか。
そもそも誰が子どもを選んで誰が連れてきて。
誰が教育を施すのか、誰が子どもたちの世話をするのか。




なんちゅーのかなあ、建物の周辺からっつーか文化というか、もっとも必要とされた部分というか、そういうところから語り起こそうとしていたんだと思うんですけども、なんかぷつぷつ、と頭の中で印象が途切れちゃってるんですよね。
頭の中で一つの像として形作られない。


てか、なあ、200年だか前の出来た頃はどーだったんかなぁ。
司教さんが作ったとゆーんですが、教会の運営ってことになるのかな。
内戦続きで、人々が絶望に沈んで、総合病院でもあったこの建物に炎をモチーフにした絵が彼らを勇気付けたっつーんですが。
天井の壁画って、最初かられっきとした芸術品、だよねぇ。。。
ちょっとやそっとの時間や手間じゃ描けない気がするんだけど。


内戦の最中に、となると、あんまりいい印象にならんのです...orz
(多分この辺は実際に偏見なんだろーと思うけど。)


この“オスピシオ・カバーニャス”が、というのではなくて。
なんかちょっとあんまりはっきりした認識がなく、語り始められてしまったよーな気がしてしまうんですよねぇ。この回。
うーん。
単に私がそう感じたというだけのことなんですが。