『その時歴史が動いた』日本独立 その光と影 −吉田茂とサンフランシスコ講和条約、前編

戦後に、戦前から戦争に反対してたからと首相に抜擢された人だそうっす。


Wikipedia吉田茂


んでもってー、この話はサンフランシスコ講和条約前夜まで。
要するに戦争に負けちゃってー、事実上の独立をする前哨戦までなのだそうですよ、てゆかこれ、昔よく聞いた「朝鮮戦争の時に自衛隊が出来たんだよーん」の時期のことのような気がします。
そのおかげでちょうどいい感じで日本の立場良くなったのー。
と、聞ーてました、いや、何度習っても(小学校、中学校、高校、下手すると大学のうちの数セット習うわけですよ)同じようなこと聞くのですよ。しかもちょぴっと戦争のせいで立場が向上したなんて皮肉だね、みたいなニュアンスが加味されてるわけですよ。


それが誰かがタイミング計った結果だなんて聞いたことないよぅ...orz




まあとりあえず、日本は戦争に負けたわけですよ。
吉田さんは反対してましたがとにかく負けたわけなんですよ(多分この人の立場だと人道的というわけじゃなくて、主に「無理じゃボケ!」という意味だったんじゃないかと思いますが)(弱い国が無理したりするとみょーに残酷な事件起こしたりするわけなんだわ)。


んでアメリカはどーもこう、戦前からちょぴっとあれなんですよ。
日本のこと贔屓気味だったものでー。
(民族気質が大人しいからなのではないかと思う、だからなのか戦争中にアメリカの外交関係者がぴーぴー泣いてたの見たことあるよ、日本なにしてんだー、みたいな。)
戦後の日本でちょっとユートピア作っちゃえー、みたいな人が混ざってたみたいです、憲法作ってるところを扱った番組で昔見ましたよ。「戦争に参加しないってのはガチで入れたいよね!」みたいなスタッフとかちょっと頑張ったわけですよ。


や、その辺のことが語られてたわけではないです。
しかし、GHQなマッカーサーさんの行動にわりと露骨に好意があったらしいってのには現れていたといえば現れてたかと思いますが。




とにかく日本は戦争に負けました。


なのでその遅れっつーか、そっからどーやって国を発展させていくべかー、という前のめり的に吉田さんはいろいろ考えました。
「よき敗者であればよき勝者を作ることが出来る」とかまあ、ゆってたわけですが、しかしまあそんなのはわりと最初から好意がある場合な気もするけどなぁ。まあぶっちゃけ、日本をほぼ統治することになってるアメリカとはそんなさして利害関係ないし。
(あっても第二次世界大戦の時のみだわね。)
真珠湾攻撃ー、なんつぅのはあるけど、あれも民間人には手ぇ出してないわけだし、戦争ルールは破ったわけだけど。)


でも、わざわざと他の国との分割統治になるはずだったところから庇ってもらうことまではなくてもいいわけだ。
その辺は、良き敗者っつーよりか、「美味しい敗者」という気もしますが。
余所と別けるより自分で食べたら美味しいよ☆ みたいな。
うーむ、事態は変わってないのになんか身も蓋もないったら。;


(いやでも、分割統治はいろいろと大変なので、それはよくないんじゃないかってのは吉田さんの思惑とは無関係にアメリカ側に最初からあったって聞いてるけどね。)
(分割統治の例としちゃ韓国&北朝鮮東西ドイツなんかがあるな。)




えーとあとなんだっけ。
そーそー、時期を見てゆっくり〜、急ぐと賠償金がっぽり取られたりとかろくでもないからとか待ってたら、世界が別れて真っ二つ、東西冷戦が始まりましたー。


なのでどっちかとだけ講和するか、それとも両者と当たりつけるかと。
日本の国内でも意見が割れたようっすよ。
後者は「両方とやんないと片方と禍根が残るわーっ」、前者は「ちょっと今無理じゃーん」みたいな感じです。まあどっちも妥当っちゃ妥当よね。


しかしそもそもアメリカ寄りだったもんで、ソ連と中国が仮想敵国として日本を想定したよーん、なんて情報が伝わってきたりして「両方ってのはまあ無理じゃん」となりまして。んじゃ、いっそのことこの状況を最大限に利用すっか!


ということを思っていたっぽいんですが、この吉田さんなんも言わない。
とにかく口にしない、少なくとも世間一般に向かっては全く全然喋らない、みたいなところがちょぴっと「駄目だよね」それみたいに指摘されてました。


つーか、具体的には「日本にアメリカの基地造るよん」の話がこの時です。
(しかして戦後の賠償金としてはほとんどないに等しい、治安系のことなんかはもうほぼまっさらに近い状態という異様にいい条件とは相成ったわけですが。)
というわけで後篇に。