『私のこだわり人物伝』円谷英二−特撮の神様 第2回、先生は「キング・コング」

さて、一回見てなんだったか忘れてしまいまして。


もう一度見てわりと一回めに見たことを思い出したんですが、なーんつぅのかなぁ、≪特撮≫をメインに映画を撮りたいのだ! という信念ってこう、今の感覚とは全然違うんじゃないのかなー、というか。
いや、今なら特撮の他にアニメーションとかCGとかありますやん。
普通のドラマにも特殊技術が使われてますし。
特撮ってのは要するに、=特撮ヒーロー物みたいなニュアンスがある。
(私はSFが見たいんだい!!)




そーだな。


――この世にありえない物を撮る、写す、ということかな。


だから「先生」はありえない生物、キング・コングだったわけだし、うーん、本当に上手く伝わるのかわからないんだけど、例えば極限状態の人間を描くんだったらもしかすると多分、ゴジラを使わなくても地震なんかでもいいんじゃないかと思うんですよ。
いや、今現在の実際の映画がってだけじゃなくて(幾つかあるよね)。


ゴジラが災厄でしかないというのならば、なにも生物の形なぞしていなくてもいい。
特撮の技術は、なにもありえない生物を撮るためのものだけではないわけだし、昔も今もずーっと一貫してね。でもこの国では(余所の国でそうであっても、多分日本の影響じゃないかとまで思う)、特撮はまず怪獣を撮るためのものだって気がしてならない。
そして肝心の円谷さんの意図も、別に生物に拘ってるわけじゃない。
飛行機乗りで映画を撮りたがってるし、戦争に関する映画を作って戦後に公職追放、なんてぇ嵌めになっちゃってるし。


(しかしあれだけ予算と時間が掛けられて、多少の冒険が許される環境を我慢できるクリエイターってあんまり多くないと思う...orz)
(3mの模型の船に実際の火薬だよ?! しかも今まで撮ったことないだろう、誰もそんな映像手法では)(ぶっちゃけ、公職追放されても構わないくらいの経験積んだと思ってたんじゃないだろうか。)
(物の作り手の情熱は時たま地獄に落ちかねないと思うw)


じゃあなんでゴジラになったのか、という。
災厄が、なんで自らも原水爆の被害者であるゴジラたんと(たんて)いう形を取ることになったのかー、という。


んにゃ、別に番組内で語られてたわけじゃないんですよ。
番組ではいろいろと面白い撮影技術(ミニチュア飛行機とカメラを固定して、背景の山のセットを動かしての撮影)(今のアニメの技法の一つだよね、よく考えたら)とか、戦争協力とか、公職追放とか。
50にもなろうかって時に、若い頃の、キング・コングのような映画を作りたいって夢を叶えたんだ、という。


それもそれで物語りみたいにドラマチックじゃないか?


てなことを唐沢さんが語ってたんですけどね。


Wikipediaキング・コング


が、初作1933年、『ゴジラ』が1954年だからその差約21年。
さて、それが約21年も掛けてやっと、なのか、それとも夢でしかなかったところから、もともとプロの監督なんだからゼロとまでは言わないけど、特撮技術も本当にチャチいものしかなくて、ほとんど円谷さん自身が一個ずつ作り上げてったようなところを考えるとね。


たった21年でと言うほうが、私的にはしっくりくるかな。


この辺は幾つかの本を読んでしまっているので、ちょっと記憶が混ざってしまっているよーなところがなきにしもあらず。w
気を抜くと実相寺監督の本のこと語りそーだもんなぁ。
実相寺昭雄氏は『ウルトラセブン』からだからもう少し後だけどね。)




ゴジラという日本初の特撮映画から。
そして数年後の『ウルトラマン』へとつながっていくとゆーわけなのですが(円谷さん的には、という意味ですがーw)(特撮は多人数が関っててままなんないし、ぶっちゃけまとまんないとこが好き)。


さて、なんで生き物っつー形を取ったのかな。
なんとなく、キング・コングはわかんないでもないんだ、あれは悲劇の延長で、要するに多少サイズがでっかくてもモンスターだ。映画向けに奇形度が上がっていてもさ。元の元は人間じゃないのかと思う。


でもゴジラは災厄であるのなら、例えば戦争のつめ跡であるのなら、なんで怪獣の形を取ったのかなぁ。そして、なんで被害者でもあったのかなぁ。
(それはきっと、いろんな思惑や時代が絡まっているのかな。)