「ウルトラマンを創った男−金城哲夫の生涯」

「ウルトラマンを創った男−金城哲夫の生涯」
 山田輝子、朝日文庫(1997.08)


30も半ばで酒に溺れて転落死したっていう。


ウルトラマンを創った男」になにを期待して人がそれを読むのかってーと、なんか案外と彼の絶望はなんだったのだろうとか、架空の正義の味方が彼にとって、一体どんな役回りだったりだろうとかそんなことなよーな気がするんですよ。
例えばさあ、『水戸黄門』さまを見る時って、本当に私の困ったことも黄門さまが助けてくれる、みたいな見方してる人は少ないよーな気がするんですよね。皆無とは言わないけど、ちょっとこう、逆に向かないというか。


ウルトラマンもちょっとだけ似てて、なんていうのかな、俺の人生の悩みの助けにゃあなんないよ! というかねー。黄門さまもだなー。
大抵の個人の悩みは斬っても解決しないし、超権力の出る幕もねぇ。w




私は、金城さんの脚本の回は見たことがないのかな?
あ、いや、『ウルトラセブン』の初回3話書いてたか、、、えーとえーとえーと、まだきっと本領発揮じゃないんですよ♥
(庇うの珍しいですよ)(いやちょっと後に評判のいい回が二つほど控えてて。)


彼は沖縄の人で、けれど沖縄の言葉が出来なくて。


若い頃に本州に渡ってきてしまったので、微妙にアイデンティティにもズレがあるらしくって、なーんていうのかなぁ、いろんないろんな物に引き裂かれて苦しんでいたのかもしれないって思わせるところがありました。
いや、これを書いてる女の人は、学校が同じ人で。
ウルトラマン』の放送が始まってしばらくたってからだったかな? 関係してたのだと聞ーたそうなんですが、番組を見た時からなんだかひどく懐かしかったそうです、あのですね、雰囲気がどうとかじゃなくて(さすがに複数の人らで作るものだし)、昔聞いたよーな彼の言葉がほんのところどころに散りばめられていたらしーんですよ。
当時、周囲と空想の話を作ってた、そのアイディアが形を変えて入っていたこともあったそーです。


つかやっぱり、印象の深い青年だったんじゃないでしょうか。




彼の学生時代はちょっと変わっていて。
というか当時からなんだか周囲を巻き込むよーな強いところがあって、学友たちを引き連れて学校行事として沖縄にまで行ってるという。んでもって、その時のことがきっかけで、沖縄に移住してしもーた人までいたという。
ウルトラマンが40年だから、えーと、戦後を抜けたかどうかってところかなぁ。
沖縄の問題は現在進行形で存在。
(今も残ってるともいえるわけだけどさ。)


Wikipedia沖縄返還


1972年の返還を前に、金城さんは沖縄に帰ってしまったそうです、「沖縄の本土復帰を沖縄で待ちたい」と言って。でもなんか、少し制作のほーでも行き詰っていたよーでもあったようです(どっちかというとウルトラマン全体が)、この辺は外から見た人で、そこをメインにするつもりもなさそーなので特には触れないでおきます。
確かに、制作メインだった金城さんに対し、責任を求めるよーな節もあったようなのですが、帰還を決めた彼には正直、なにもそこまでという周りの反応のほうが強かったらしいと(てか諸事情でなし崩しに責任者に近いことをやってただけだったらしいしね;)。




んで、沖縄に帰ったあとは、地元のテレビ番組に出たり。
沖縄芝居の脚本を書いたりして過ごしていたよーなのですが。
なんだろう、どっからか歯車が狂ってきた、上手く言えるかどうかは全く自信はないんですが、思い入れの強さが悪い方向に働いてしまったよーな気がするんだ。沖縄のためになにかをするってのが、私にはどんなことか見当もつかない。
例えば自分の故郷のために、なにかする能力が、アイディアがあるかって言われて頷くことの出来る人なんてどのくらいいるんだろう。


けれど彼は、そのことを自分の欠陥として受け取ったというか。
沖縄方言が使えないってことや、「沖縄芝居じゃない」と言われたことや、当地のことを教えてくれる人がいなくなってしまって、幾つか失態があったこととか、そーいうことはそれほど本筋ではないような気がするんだ。




この本は彼の死後。
彼の足跡を辿った人の書いたもので、それはとても丁寧で、たくさんの資料を積み重ねて彼の苦悩を浮き彫りにしていたんだけど。


それでも彼が作り物に、ウルトラマンに託したものはわからなかった。
ちょーっとは助けになったのかな。
それとももしかして逆だったのかな。
そしてもしかして、そんな苦しみを持った彼がいなければ、その存在はこの世になかったんだろうか。なんだか皮肉な気もするのですが。