第十三話「一夜橋」

よく見たら、『蟲師』のレビューがどんどん隙間だらけになっていっていたので、とても反省しました。これでは雰囲気だけと罵られても仕方がない。
千里の道も一歩から。
っつーか、まあ歩きたい方向にてんでに進めば千里くらいは行くんでしょう、別に真っ直ぐ進むつもりとかないし(なんの話だ)。


しかしこの回、よくわからなかったんですよ。


ストーリーの筋道が、というわけではなくて、どこに焦点があるのかなんていうのか見えてこない。小さな村への少女の拘りなのか、少年の、駆け落ちして村を捨てようとしたことへの「罰」というよーなことなのか(違うと思う)。
なにがよくないこと、であるのかの認識はあるのだけれども。
その「よくないこと」をした人間への罰は存在しないんですよ。
報いはやってこない。




少女には、裕福な相手との縁談が持ち上がりました。
少年はその手を引いて逃げようと、本当にお前が幸せであるのならば、家族はきっといつかわかってくれるよと言いました。


けれど少女は、村が己の家族が見捨てられることの良心の呵責に耐えかねて、しかし少年への想いもあったのでしょーかね。村から出るためのたった一本の橋の上から落ちてしまいました。
そーして、帰ってきた体は、抜け殻のように日を浴びるだけに。
(そもそも、到底生きて戻れる高さではないそーなのですよ。)


なったので、ギンコはその母親に呼ばれたのですが、彼女は「死ぬかもしれなくても縁談をまとめなくてはならない」「これ以上、お待たせするわけにはいかない」と言うのですよ。まあいろいろあって、体は実は死んでいるのではないかという結論が出てしまったんですがね。
娘の命よりも縁談が優先って、いくらなんでも人聞き悪いよなー。


そんなこと出来ませんよ、とギンコは逃げ回るわけですよ。
いや当然でしょう、人殺しに加担する可能性のあるよーなことを、たかが縁談のためだけになんてよほどの見返りがなきゃやってらんない。
正直、なんじゃそりゃあ、と思うのですよ。
それを説得ごときでなんとか出来ると思っているのならば、なんつーか、よっぽど世界が狭いっていうか、自分の判断が全てだと思っているというか。




村が狭いんでしょうね。まあ。
谷を隔てて、完全な孤立した小さな小さな村。
外界をつなぐのはぼっろい橋の一つだけ。


そーして、前の何話だったかなぁ(9話ですね)、己の命を削ってでも村を栄えさせたいなんてぇ、それもそれで考えて見れば大概な指導者がいるわけでもない。


生きていくには、外からの援助が不可欠で。
その見返りに、若い娘を、多分それに到底相応しくないよーな年齢の男に嫁がせるんでしょーね。そのくらいしかもう差し出すものがないのかもしれない。
そのくらいなら、安いものなのかもしれない。
(それは案外事実なのかもしれない。)




しかしなぁ、別に。
外の世界に行けば身一つで、己の好いた少年と十二分に暮らしていけるだろう少女にとっちゃあ、それって本気でただの人身御供よね。
だって少女自体には、そんなもの、別段ありがたいというものでもないでしょう。
単なる犠牲的精神。
せめて、そーして差し出すことへの後ろめたさくらいないのかしら。


とか思うんですけれども、それでも断罪の話ではないのですよね。この話は。


あとはもう、少女の抜け殻の中に入っている存在が。
日の光を求めて死体に寄生するのだとか(殺したわけではない)、それが一斉に体から抜け出て、谷に美しい橋を造る日が20年に一度やってくるのだとか。


少年が。
少女が「忘れてしまっただけ」なのだと思いたがったとか、いや、「姿が同じだけでもいい」とか、「あの姿を留めておいていてくれただけでも」とか。
なんつーかもう、ねぇ。
狭い村なのだなぁと。どこまでも。
方向性は違うけれども、なんていうんだろう、その一途さ(といったら少女の家族を表現するにはアレだけども)というか、なんていうか、他にないよーな物の考え方が似ているよーな気もしてくる。
そうだ、少女もだ。


外に出ればねぇ、と思うんだけれども。
ギンコもきっとそう思ったんだろーと思うけれども。