第十一話「やまねむる」

――で、結局、山に穴が開いてたのはなんだったんじゃい。


などという、無粋な突っ込みをかましてしまいます、この回。
あの穴の空きっぷりは凄まじかったです確かに、ギンコでなくともなんかついふらふらっと行っちゃうよ。しかしまあ、余人には見えないらしーわけですが、毎度のこと。


こうみゃく、というのは字はどう書くのかねぇ?
鉱脈?


龍脈なら知ってるんですけどね、猫ならわかるそーです、ちなみに私方位がなんでかなんとなくわかる類の人間なんですが(男のほうが若干多い)、地下に潜ると狂います。建物の中であっても地上なら狂わないし、地下通路がつながってない一軒のみの地下でもあんま狂わない気がするのでなんか関係があるのかもしれません。
てゆか、なんで方位がわかるのかがわかってないし自分で。




その、要はなんだかエネルギーの通り道みたいなところは、時節によっては生気に当てられてしまって人の出入りが出来なくなってしまう。
それを管理しているのが、山の主だか長だか。
(少しくらいは覚えようという気を見せんのか。)


でもって、その架け橋的な存在になってくれてるのが。


村に居付いた蟲師である、、、忘れた。あははは。
でもって、ギンコはふらふらっと立ち寄った村で、「なんか異変はないかい?」などというお人よしみたいな(人はいいと思うんだがなんか認めがたくー)(貶すつもりは毛頭ナイ)ことを言い出して。
その蟲師が連絡取れなくなったんで、見てきてくんないかー。


というようなことで、山に登る。
村人は入るなー、とその蟲師に言われておるので近寄れないっつーか、そんな忠告を受けるまでもなくなんか近寄れないものらしい。




でもって、ギンコのあとをちょろちょろ付けてきた、蟲師の「弟子」とやらがやっぱり当てられて吐きそうになっていたりした。
弟子がいたというのは、ギンコは初耳だったりする。


とりあえず、連れて行く。
つか、探すのになんかにょろにょろっとしたものを飛ばしてみたりする、ひどく便利。てゆかあれを使ってるとなんか魔術師みたいでたまには格好いいぞ!
(なにかギンコに対して含みがないかい?)


が、弾かれてしまった。




そんな話である。
まあ、蟲師が崖下から見付かったり、もう大丈夫だからお帰りー、とかいうよーなやり取りがあったり、ギンコも蟲師も少しばかりずつ自分らの話をしたりして。


しかし、なんだか鐘の音がする。
山から降りても聞こえる、近づいてくる。




そんな話であり。
まあ、そこまでで実は全ての内容は終わっている、現象としては本当にそんだけなのだもの。あとは全て、ギンコとその蟲師のじーさんの言葉でだけ説明される。
私たちは多少は情報はもらえるものの。


件の弟子などでも、たとえその場所に居合わせたのだとしても、「なにか」に蟲師のじーさんが飲み込まれる事態しかわからないのだろう。涙が流されるが、本当に美しかったという先代の、己のことを愛した女が殺してしまったという山の主のことを口にするが。
人の身には疲れた、一瞬たりとも切れない、そんな時間の経過は辛いのだというのだが、それらは全て言葉にすぎない。


あ、いや、そもそもその蟲師は、実は山の主であったのだという話。
ギンコは全てを理解はしているが、私たちには多分それはわからない。
わかるのだと思っても、実感は出来ないものではないか。




人が手を出すには、過ぎたものなのだ、という認識だけ。
なんとなくそれでも伝わってきたよーな気もしないでもない。


「どうにも、、、ならないねぇ」と己の口にした、諦めるな、なにか手があるかもしれないという言葉を自分でギンコが全てが終わったあと、自嘲気味に否定している。


人の身勝手という話には見えなかったし。
まあ多分、違うんだろーと思う。
そもそも蟲師は、単に定住の地が欲しいだけで、主すら殺した女も、単に愛おしい男と共にいたかっただけなのだから。なんというかまあ。


村には、知恵を身につけた弟子が残されました。それでも。