#481 スコーグスシュルコゴーデン(スウェーデン)

ちょい久々にシンプルで面白かったっス。
なんちゅーか、死生観を街頭で聞いてほとんどの人が力むよーな様子も見せんと極自然に答えてるってところがね、宗教の完全肯定でもありませんが、やっぱり違うなぁと。


スウェーデンの人が「森」を還るところだと思っているから。
≪森の墓地≫が作られたのか。
それとももしかしたら、≪森の墓地≫が出来たから尚更そー思うのか。
でもあーいうのがでん、と街の中にあって、しかもそこに宗教の違いを全く問わず誰でも入るというのなら、少なくともあの国では、死ぬまでの宗教争いは起こらいんじゃないかなぁと、なんとなく思ってみましたり。
いや、そーいう国だからそーいうフランクな墓地が作られるのか。


同じトコで眠るっていう意識って、ちょっと馬鹿に出来ないよね。




今回はアスプルントさん(建築家)をデータとして引こうと思ったら、Wiki辞書に不在...orz わーん、片割れのヒトはいるのになー。
自分で作るって手も考えましたが、建築に関してはほぼ全く知識の白紙状態なのでいつになってしまうことやら(一応やるつもりは)(あるかもしれない)(忘れなければですがとりあえず)。


このヒトのことは正直番組だけではよーわかりませんが。


なんか、シンプルな人であったんではないかと思います。
んでもって、なんていったらいいのか、それはこの国の人らももしかしたらそーなんではないのかなと、お国柄というか。




無縁墓地に灰を撒く人の手が、やたらと手馴れていて。
でもけして乱雑だったというわけではないというか。
あの人は、もうずっとあーして撒き続けているのかなとなんとなく思わせました、もちろん日本なのですけれど葬式屋の人と少しだけ会話したことがありますが、なんか、、、不思議でした。
死というものの捉え方が違うというか。
鈍化というより、純化してしまっているというか。


死体は、どっちかというと「穢れ」ですよね、意識的に。
(身内の物は違うように感じる、ともされてますけど、どーしても。)


でもあちらの人たちは、そりゃ、人によっても違うのでしょうが、特にそーいうふうには思っていないというか、翻って死そのものも、わりとそこらにあるものと考えていそうというか。
切り花を飾る日本と違う、墓の前に鉢植えをぽこぽこ持ってきて植える彼らを見ていて、なんとなくそんなふうに思いました(今)(考えながら書きますもので;)。




あんなふーに鉢植えを植えて、広い隙間が開いていて。
誰でも歩いて、明るい道で。
けれどどっかやっぱり寂しい場所でもありますが。


無縁墓地っていうのも、それを望んだ人が、家族にも山のどこにその灰が撒かれるのか教えずに、多分実際に縁者のない人もいるのでしょうが。
皆、同じところに切り花を置いていきますが。
でもその山は見えるし、そんなに切り離された空間でもないし。
森の中に墓場があるというか、森と同化してるというか。


生活と少しも離れていない空間で、けれど、眠りのための美しさはあるというか。
上手くいえないんですけれども、とても簡素でした。
誰の手柄かわかりませんが。
いや、そーいうふうに考えるのが間違っているのかもしれませんが、あれは皆の場所だなぁと、誰かのための場所ではないなぁと。




アスプルントさんが、嫌がったという十字架が。
なんで作られてしまったのかはわかりませんが、どこかキリスト教の物とは違うよーな気がする、と私が言った時に、ほとんど聞いていなかった母が「バイキングよ」と。


それが事実なのかはわかりませんが。
てか、さっぱりそんなことは言われてなかったし、私は否定をしたんですが。
案外、そんなものなのでしょうか。


黒い、本当にシンプルな十字架で。
緩やかな丘に続く道にぽつんとそれだけが置いてあります。
宗教はそんなに好きではありませんが正直、でもその絵はとても奇麗だと素直に思いました、人工物ですけれどももちろん、自然物だけにしたい、と口にしたアスプルントさんの気持ちもわかるのですが。


人間の身なので、あーいうわかりやすさは嬉しいように思います。