#480 ファテープル・シークリー(インド)

ああ、ホントにモンゴル帝国の系譜なんだ。
11世紀から15世紀? 16世紀かな、辺りまで話がすっ飛んでいたのにも関らず「関係」のほとんど一言で済ませてたので、なぁに? とか首傾げちまったぜ。


えーと、チンギスさんの次男さんの家系だそーでーす。
モンゴル人はあんまり明確な宗教持ってなかったと思うけど、祖霊崇拝あったかな? 泥のモニュメントにぼこぼこお人形を捧げてたのはここだったっけ。
ああ、遊牧民族なので「天」しか信奉しない。


つか、天以外のものがなーーーんもない。


というとある本の説明がわかりやすいかと思います。
(同人誌☆ 友人の友人の友人、、、てか顔見知り、つーか知人でいいのかな? の描いていらさるモンゴル帝国本、コレ歴史ジャンルで数年来やってっから、知ってる人、はここを見ていない気もする。;)
(この本のおかげで、今回結構面白かったです)(むしろ薄ー。)




でもって、そんな人らなので、宗教には寛容だったぽいです。
チンギスさんの息子か、その子の代に、確かキリスト教徒いたし、多分ネストリウス派だけど(わりと異端)(日本に最初に来たのもコレだよ)。
そーそー、昔読んだ、『東方見聞録』で、マルコ・ポーロさんが、ぶちぶちぶちぶちイスラム教徒に対して愚痴ってたっけなー。あんまり何度も繰り返してるので、愛してるのかと勘違いしそうになる勢いでした。
しまいにゃいいところもあるんだよ! とかフォロってるし。


いやごめんなさい、かなり露骨にあれですか。行数稼ぎですか。


Wikipediaムガル帝国




だってオダギリちゃん!
(この間、年上だと判明...lllorzむしろ気付け)


今回なんかやったら情報価が少ないんだよー、なんでさー、知らないところだから! 尚更言うべきことはいっぱいあるだろー?!
(てゆか、彼のせーじゃないですヨ。)
つーかさあ、なんでキリスト教的なのよ。
イスラムの侵略に耐えたのは、「ヒンドゥーの心」だぁ?
生温いこと言ってんじゃねぇよ、はっきし言ってヒンドゥー教って日本の神道っちゅーか、八百万の神々っちゅーか、現世利益っちゅーか。アレじゃん。
あって当り前で、他の宗教まで飲み込むじゃん。
お守り持ってても初詣に行くのがほとんど当然でも、「宗教じゃない」とか言われるくらいに当然に生活と同化してる系じゃねぇの。


勝手に宗教対決にしてんな!
だいたい、ヒンドゥーって総称な挙げ句に通称に近いっちゅーか正確ですらないよ。
後の時代に「ヒンドゥー」って名前にしようねっつったら、なんかもうどこからどこまでにすんべー、という話になり。そもそもわりと古い仏教以前のも関係はあるんだけど、どう呼ぶかとかとか。
わりと最近じゃん、そー呼ばれたのってそもそも。


わかりやすい構図に嵌まってると脳の老化しやすいぜー?
かといって、だったら説明しろよ、と言われたら困るけどな。




全体の展開としては。
ムガル帝国がありました。
モンゴル民族の流れを汲む、イスラム教のお国です。
三代めがアクバルさんでーす、今も名君って言われてますよぅ。


彼は、対立していたヒンドゥー教徒との融和政策を計り! 彼らの崇拝を勝ち取ったのです、なのでイスラム教徒の奥さんと、ヒンドゥー教徒の奥さんと一緒に暮らしていたそーです、いい度胸だな貴様。
(ラストのは違うと思うの。)




世界遺産になったのは、彼の造った意図のよーわからん建築物。
なにあのいぼいぼの塔。
あとあのわにわにわにっ、と腕(比喩)のまつわりついた柱はなによ。
地元の土造りの家を模して作られた、とかゆーてたんですが、肝心のその土地の家が出てこなかったんで、なにがどーなのやらよくわからず。うんまあ、赤かったです。
あ、アラベスクは奇麗だったっす(格子窓)。
でもあれ、微妙に価値があるヨー、とされてる部分と違うよね?


インドとイスラム文化の融合建築物って解釈でいいの? でもそんなわかりやすいことなら言ってるよーな気もするしなぁ。


なんっか、奇麗でしたけど、寝てました、奴(建築物擬人化)。
ご主人様がいきなし帰ってこなかったんじゃ無理ないのかなぁ。