第九話「重い実」

なんとなく、一番好きな距離感かもしれません。
てゆうか私はいまだに、どーもギンコの物の考え方ってのが上手く掴めないんですけれどね、非難でなく、それが自然というよーな気もするのですが。
いや、変化するのがね。
(しかしどこが違って見えるの? と感ずる人もあって良いと思う。)


つーか、オダギリ君が演ずるとしたらこのくらいの距離感がいいかなぁ。
むしろなんつーか、始めて「可能かも」と思わされた回でもありました。


ギンコはうーん、上手く言えないんですが、積極的に関ろうとしていない人のよーに見えるわけですわりと大抵。
積極的に避けようとしているわけでもないというだけで。
助けよー、とする時ですら誰かの意思に添うだけで。
そこにいる誰一人も、「それ」を望んでいなければ事態を収束させようとすらしない。




でもって、オダギリジョー君て、そーいう人間でしょーか?
違うよーに思うんですよね、もしかしたら当人はそー望んでるのかもしれませんが。
彼はいっつも、そーしたくもないのに、なにかしら事態に望みを抱いてしまうかのよーに見えるし、そーしてソレはある程度本当にそうなのではないかと、ある程度彼に興味を持っていればそう思わせてしまうというか。


己の中に明確な(自分にとっての)「善」があり。
それを振りきろうとしても、それでもって現実を裁こう裁こう、己が望む方向に向かわせようとしてしまって、それを後悔するけれど、どっかで乗り越えてしまうというか。
(なんですかこれは、哲学ですか。)


んで。


ギンコにも、望みというか、かくあるべしという理想はあるかもしれないと思うんですよ、けれど彼はそれを抑えてしまう、現実のほーをゆっくりと優先させてしまう。
少しの間、彼に付き合って、いくつかの事態を一緒に眺めて。
それで彼にも彼の固有の価値観があるのだとやっとわかりましたけれど。


そーでなければ彼は、ギンコは空っぽに行動するだけのよーに見えたかもしれない。
たとえば、1話でギンコが、説得されて行動を変えたよーに思えないんですよ。
彼は事態を己の意思で左右をしない、事態をもたらすだけの、人間の形をしていたけれど能動的ではあるけれど“現象”のよーに見えたんですよ。


や、別に悪い意味合いではありません、個性個性(そんなまとめ方)。




「生け贄」の話なんじゃないかと思います。
んで、私には、ギンコが始めて踏み込んだ話に見えたのですよ。


村に豊穣をもたらす種は、捲くと一番弱い個体を浚っていくのだと。
その印が奇妙なところに生える歯だとか、それは命脈をいじることになる、蟲師たちの中で禁忌とされていることだとかなんとか、そーいうこともあるのですが。
結局は覚悟の話に帰結するわけです。


山奥の、まだ開墾されて世代のたっていない土地。
あと少しで、たとえ一年くらい不作の年が来てもなんとか凌げるよーになるのかもしれないのですが、それにまだもう少しだけ遠い。
その禁忌の種を捲いてしまったのは、村の祭祀。


んでもって、前に彼がその選択をした時に、種が選んだのは彼の妻でした、と。
そうでなければ、どうだったんだろうかなぁ、と私は意地の悪いことを少し考えました。もうだいぶ年のいった老人とかだったりしたら?
誰が連れて行かれるか、考えてなかったのだと祭祀は言ってましたしね。




不作でも、村から出て人数を別ければ一年は凌げる、とギンコは言います。
なにもそんな手段に頼らなくてもと。
だから、種が誰かを選ぶ前に畑を焼いてしまえと、祭祀が動かせないもので強硬手段に出ようとします。


彼の「選択」は別にそんなことじゃないですよ、それはいつもの通り。


でも、祭祀が贄に誰を選ばせよーとしていたか、そーしてその前になにが起こったのかを聞いて、それでも村の栄えるところがみたいのだという彼の言葉を聞いて。
それで最後に、一つ、提案を持ちかけることにしました。


めでたし、めでたしのご都合主義の話ではなく。
重い覚悟の伴った、そーいう決意の話なのですが、妻を己の性のせいで失ってその命を使って摂れた米を食って美味しくて涙して、それでも村の栄えるところが見たいという。
身勝手な話なのかもしれませんが。
幸せっちゃあ幸せなのかもしれませんね。
それが当人の望みだったのですから。
(でもさー、いくらなんでもあんなことやっていいのー?)
(祭祀も言ってたケド、私も一番ヤバいような気がするんですが。;)