#476 リトルポーランドの木造教会群



この国は蹂躙されてきたのかなぁ、とか、なんとなくそんなことを見ている間に思ったりしないでもありませんでした。
うーん、上手く順序立てられないんですけれど。


調べてみると私たちの国とわりと似た大きさ。
多分、単一民族に近いような構成(日本も厳密には単一民族じゃないですよ、というよーなことも含めて)。
敬虔なキリスト教徒で。
宗教は彼らにとって生活の一部であることが自然であるようです。


Wikipediaポーランド




私はこの国、日本に似ていると思いました。
簡単に言ってしまうと、私が田舎で育ったせいなのですが、そして一応は市内(名古屋ですー)の高校の裏手に、「萱葺き屋根」の文化遺産なんかが残っていたりするよーな偶然のせいなのかもしれませんが。
それを偶然と呼ぶのならば、この国には偶然、結構ありますよ。
宗教施設だったりするのならばなおさらですね。
街中に、これほど平然と神社やら寺やらあるのって珍しいのではないかと思います、しかもこれ、近代化を迎えた明治期にも、戦後にもやったらめったら減らされてるんですよ。
地図を開けてみて、神社仏閣のマークを調べれば。
この国はどこを切っても多分、同じことが言えるでしょう。


でもソレ、私たちの国には戦争が少なかったからだと思うのです。


そしてリトルポーランドの木造教会群は全く逆に、戦争と他者の蹂躙の歴史の中で生き延びてきたといえるようです。
そもそもが、そんな生きている施設であるべき彼らの教会が、今に至るまで確かに不便である木造のままであったというところからして、考えてみれば奇妙なのではないかと。


今であるのならば。
本当にここ十数年くらいならば技術はもっと上がって、そして「古いもの」の価値が再発見されて、それこそ≪世界遺産≫として、価値のあるものとして登録されるようなことになるわけですけれど。




雪深いあの国で、老人まで入る施設が木造だと不便でしょう。
幼子らのために隙間風の入らない現代建築にしたい、と彼らが願わなかったとは思いにくいです、それが不可能であるのならばともかく、それが不自然であるというのならばともかく。いくら片田舎でもあそこはヨーロッパの一角です。


多分、それを許さなかった時代が長くあった。


そういうことを、私はナレーターのオダギリにーちゃんが(なんで毎回呼び名を変える)言った時にわかりませんでした。
ただ、その時点でわかったのは。


「その土地で」「木造教会群が残ったこと」をちょっと不思議で、確率の低い出来事のようにして語っていることだけでした。いや、それすらも数シーンすぎてからやっと身に沁みたのかな。
そして私は、こういう国の人間なので。
古いものが残ることを別段不思議には思っておらず。


だから、すぐにはなんのことを言っているのかわかりませんでした。




語られた、ポーランドという国が巻き込まれ続けた歴史、支配者が変わるたびに教会に対して行われること。
多分、彼らが教会を大事にしていたからこそなのでしょう。
大事なものであるから、手出しをされ、指示を受けた。


とある時代に新しい教会は壊され、とある支配者によって新しい教会を造ることを禁止されて、だから、だから木造教会群は生き続けたのだと。
それは多分、偶然の産物なのだということなのでしょう。
彼らの被支配の歴史がなければ、その≪遺産≫はありえなかった、少なくとも同じ形ではなくて、生きていない、死んだ教会として存在していたかもしれない。
同じように形は美しかったかもしれませんが。




彼らの、宗教は疑いません。
だってそんな中でも、細々とでも、美しいままに生き続けたのですから。


いやもしかすると、そんな国であるから、宗教が今もなお、厳然とした形で残っているということなのかもしれませんが。
それこそ、その木造教会群のように。


貴族が自分の地位を誇示するために、という来歴があるからではなくて、なんとなく素直に美しいのだと感じることができませんでした。
私たちが島国だから、それを知らなくて済んだというだけで。
あれは私たちの姿だったのかもしれない。
それは、とても静かで美しい時間だったのかもしれませんが。