第四話「枕小路」



いやでも私は、あのオトコの人を助けることは出来たと思いますよ?


なんていうのか。


「アンタは悪くない」
のあとに。
「蟲も悪くない」
とは呟かなきゃ良かったんですよ、もちろん悪くはないんですけれど、蟲に選ばれたことが不運だったという表現にすれば良かったんですよ、ギンコが。


そーであれば、蟲を殺して、たとえ体が断ち切られたとしても、現実に戻ってきたと思うんですよ、ジンさん。もしくは心穏やかに死ねた(いやあそこで助からなかったとしても苦悩の死でしかなかったと思いますが、ちょっと死に方が違った気がするというか)。
なんていうのか、あそこが彼の運命を別けた気がする。




――蟲はただ、生きているだけだ。


うん、そうなのですけれど、ねぇ。
ギンコさんは、ソレが自分の身に良くはないものだと知りながら、けれども惹かれてしまう性なのだからしょうがないですね。




寝言に返事をしてはいけない、というのは、実際に言われていることなのですけれど、どうもその理由を忘れてしまいまして。
母に聞いてみたら、母は寝言に返事をしてはいけないことから知らない。


予知夢、というとどちらかというと超能力の類。なんとなく西洋かしら。
夢が現になる、というと東洋だなぁ、しかも悪い意味。
しかし、ですね。
10日に1回だけにしても、そのタイミングであの「人が崩れる病」の夢を本当にされていたら、あんまりこの話がちゃんと成り立たないよーな気がしたんですが、無粋ですかそうですか。
全くです。




彼を蝕んだのは、予知夢というより周囲の期待ではないですか。
10日に一度より、もっと少なくて例えば全くのランダムであれば、それはあんなに早くは崩壊が訪れなかったようにも思うんですよ。
あんなに如実に、予知夢の「おかげで」感謝されて人を救えて、なにもかも好転していかなければまだよかった。たまに訪れる、幸運でしかなければ、彼に施されたギンコの好意はなにもあんな結末を迎えなかったように思うのです。
(あの夢では、彼の子どもを救えていた可能性は最初からない。)


けれど彼には。


彼の辿る運命を知っていたのならば、それが「現実を知る夢」などではなくて「夢を現に変えてしまう蟲」であるのだと教えることで、いくつかのことは起こらなかったかもしれない。自分の為すことに怯えはあるでしょう。
もしかして、それを教えたギンコのことを恨んだかもしれない。


けれど彼の実際に苦しんだことよりはマシなのか。
そうして、もしかしたらあの頃になって全てを失ってやっと気付くなんてぇ流れではなくて、ギンコが再度訪れた1年が過ぎた頃には、苦しんで苦しんで苦しんで、なんとか折り合いをつけていたのかもしれない。


いやそれとも、もうすでに、夢を恐れて狂気に侵されていたかもしれない。
けれどその時は、妻や周囲くらいは残っていたでしょうか。
彼らを悲しませていたりしたのかしら?




うん、ギンコも悪くない。


ギンコにも先がどうなるかなんて、わからなくて当然なのですよ。
最初から救えない可能性があって、けれど探してみる、と言ったのは前の「あ」の話と一緒ですが、ジンさんはそこでもう、取り返しのつかない罪に怯えてしまっている。彼のせいなぞではむろんないけれど。彼が、夢を伝染させる自分がいなければ、と思ってしまうのも悪いとは私には言えません。
仕方がない。




うんでもけれどせめて、「すまなかったな」と言えて良かったな。
ジンさんが娘さんと奥さんに、謝れて良かったですね。幻でも。


ギンコの「アンタは悪くない」て声は擦れ違ってしまって届きませんでしたけれど。
戻ってきて欲しい、という願いは届きませんでしたけれど。
安らかとは言い難い終わりを迎えてしまったわけですけども。


なにが一体、悲劇だったんでしょう、この話は。
どうにもならない、救いもないというのに、どこがどうして悲劇になってしまったのか、明確な悪意どころか、明確な意識すらどこにもない。
ただ、悲しませてすらくれない話でした。