西安事変を知ってるかい→?

よくわからんが、最近は習うのかな?
張学良も、知ってるヒトと知らんヒトがいます、この人物を知らなきゃ不味いか否かってのは、ご判断に任せますが。


満州事変≫はこの人物に向けて起こされたものなんだよね。


満州事変は、まあ中国に向けて日本の軍が動かされた最初の出来事と言ってよいかと思うですよ、その3年前にも事件があるけど。これは軍事的には不発。
(しかもどの道、張学良絡み。;)


別に政治的含みとかないよ。
だって、日本が満州と呼んだ地域は(東北という)、基本的に張学良のとーちゃんの時代からこの一家が私有してたみたいなもんだしね。
それを是とするか非とするかは、私の領分でわない。
まあ、贔屓目抜かしても悪くない「お殿さま」ではあったようです。




この人の属していたのは、地主階級。
私的に軍を持っていたので、≪軍閥≫の括り。




1931年に満州事変がありまして。
んで張学良及び、彼の軍隊(約10万)、その上その家族(合わせて30万)は支配地域から追い出されてしまいましてね。
この私軍をねー、時の指導者も解体しようとしたんだけど失敗。
(横暴ってニュアンスで捉えられてたけど、、、当り前の政策だと思うな!)


で、この張学良の持ち軍&彼に引きずり込まれた形の、楊虎城の軍が。




西安事変≫の主犯っす。
(1936年、翌'37年から日中戦争開始。)
あのねー、楊虎城って、ホントに地元の荒くれ系おっちゃん、思想とか将来的ビジョンとか義憤みたいのともいまいち縁通し、多分張学良と組まされたのは、おぼっちゃんへの(なの、お殿様なの、マジでこの人は)嫌味混じりじゃないかと思うの。


楊虎城(の軍)が、張学良に害を与えるんではないかと心配されてたくらいで。




なんの天然トラップだよ、張学良?!
(それとも、思想とか見識とか、薄かったからいかんかったのだろうか、でも思想があったからって打ち勝てるとも限らない。;)


なんて独創的な西安事変の説明でしょう→
いやでも、この張学良の資質を抜きにこの事件は語れない。真面目な話。




彼の要求は、時の指導者、蒋介石へ出されました。


つーか、クーデターを起こし、まず蒋介石を監禁。
彼の身柄を引き換えに、「国内の安定、日本との開戦」を迫ったのですわ。




国内の安定、つーか、実質的には内戦の停止。
内戦の内訳は、蒋介石(主)の属する国民党vs共産党
資本主義vs民主主義でもいいですな、共産党のほうは毛沢東とか周恩来とかが幅を効かせておりますです。




うん実は、張学良、この周恩来から内々に訪問受けててなぁ。
いや、ていうか、元からの関係だろうと思われる向きが大きいかもしれないけれど、無関係、張学良からするといきなり「共産党が訪ねてきたよ!」状態。
なんで訪ねて来たかっていうと、、、うん、その、お殿さまだったからじゃあないかな、いい意味で。


で、それなら国民党と表面上つながっていても(東北――満州にいた時代から、国民党、つか蒋介石とのラインはずっと維持されていました。)仲が良くなかったんだろうと思うでしょうが、そんなことはなく。
うん、仲良しですよ、かなり。
(なんで政治色抜かした表現になるのかな→ァ?)




この事件が、「日本との開戦」にどれだけ影響を与えたかは計り知れません。
そんなのは蒋介石当人に聞かないとわからん。


つーか、はっきりいって可愛がってた節のある(蒋介石は好悪がはっきりしてて、何人かお気に入りがいるんだが、張学良もまあその中の一人だと思う、政治的にはいろいろあるけどな)相手の言葉で動いたなんて政治生命に関るしね。
ただし、共産党の力が増した契機では確かにあったようです。
(つまり国内の安定に関しては、要求が通ったというわけですね。)
いや、息を吹き返した、かな。


大雑把にはこんなところです。
張学良を追った日本、張学良が組した国民党・蒋介石、張学良にコンタクトを取った共産党の全ての事情がバッティングした事件であり。
ある意味で非常に個人的な側面は否定できません。
けれど、それは案外、その時期の「中国」の全てでもあるんですよね。


事実上、翌年に開戦となりました。
深読みなどしても意味はないのかもしれませんが。w