「阿片戦争(上」滄海編、陳舜臣

阿片戦争(上) 滄海編 (講談社文庫)

阿片戦争(上) 滄海編 (講談社文庫)

≪密林.com≫

陳舜臣さんと言えば、前に読んだ司馬遼太郎さんの本の中で。
中国人の横領の話なんかで日本人どもが(大陸系のヒトもいらしたんだっけ? 陳さんは台湾系で日本産まれ)盛り上がっちゃってた時に、ぷくー、と膨れてて。
可愛いなぁ、と描かれていたのがかなり印象的でしたとさ。


じじいがじじい(同年代くらい?)に「可愛い」とか書きますかフツー。
いや案外書くか。
じじいだしね、相手もじじいだしね、むしろ書いても他意がないって誰にでもわかるからいいのかしらん。てか、どう読んでも、周囲が注目してない中で、こっそりと眺めて楽しんでいたよーにしか見えなかったんですが。




いやなんかというと、陳サンて可愛いと思います(なにー)。


前に、NHKの番組で。
「え、連維材(この本の実質的主人公)て実在しないんですか?!」


とか、うっかりマジで叫んじゃったナレーターさんに対し、一生懸命フォローしてるらしいんだけど表面によく現れてないところとか(見てわかりませんソレ)。
多分ファンだったんでしょうね。陳サンに会って浮かれてたし。




というわけで、連維材は実在しておりません。
もう片割れの主人公・林則徐はばりばりにおりますが。
ただ、上の番組の陳サンの言い方では、実際に外国が中国の門戸を叩いた時に、大陸側でもこっそりと呼応する勢力があったのだろうとは思っている。そしてそれは実際に外国の商人と関ることのあった(役人が少し来てたけど、基本的には中国に来るのは商社)商人だというのが妥当なのではないかと。


阿片戦争というのはありていに、日本の「黒船来航」みたいなものです。


外から強引に開国を迫る、という西洋の行為。
そこに武力の関与がある/なしだけの違いです。
ただ、その違いというのは、その後の二つの国の違いとしてずーっと残ったような気もしないでもないんですけれどね。




ていうかまあ、これは架空の人物が幅を効かす、フィクションです。
それでどーして、小説の分類に(私が)入れないのかというと、近代に関してはむしろ小説などの作り事が一番、なんていうんだろう、マシに物が言えるような気がするからです。
自分に連なる時代、まだ残滓の残る時代はどうしても難しい。


現代に関しては小説でも難しいでしょうね。
今生きているのだし。
だからファンタジーになったり、殺人事件の名前を借りたり(極端な出来事を含む)、エンターテイメントとして仕立てたり、人気作家/人気俳優が彩ったり。
子ども向けになったりもするのではないかなぁと。
まあ、それだけが物語りの全てと思ってるわけでもありませんが、そんなに珍しいってものでもないよね。




連維材は商人で、破壊願望のある人物として描かれています。
対して、どちらかというと林則徐(まあ政治家/軍人)は、うーん、ちゃんと筋を通そうとすると周囲が壊れるというかなんというか。


戦争の責任者、引き金であるとも言われます。
彼が、「阿片を取締り」などしなければ、戦争は起こらなかった、もしくは起こるとしても別の形になっただろうと。


あまり声高に言われないのは、まあ、阿片だからかなぁ。
別の意見を持ってる人も現代にはおられるようですが(大学の先生がそんなふうな言い方をしていた)、この戦争の直接の原因は本当に「阿片取締り」。


相手はイギリス。


そしてちょっと嬉しいことに、いまだに歴史的な恥部だと思っているよう。
本当の原因が違おうがなんだろうが、少なくとも、、、防衛戦争ではかけらほどもないものね、どう考えても。
中国の土地でのみ起こったのだしー。
その地にいたのは、ほとんどが商人と、彼らの地位を向上しようとする目的の役人が少しだけですし。彼らが戦争まで起こして守りたかったのは、利益以外にありえない。
阿片が関与していてもいなくても、それほど胸張って威張っていいものでもない。
(そして阿片商人の一部関与は記録に残る事実です。)




けれど、この戦争が、中国の古いものを壊し。
この戦争によってかの国の近代史が始まったという見方は強いのです。


秩序が乱れれば、古い組織が壊れ。
その重圧の中で喘いでいた人間たちに光が当たるということなのかもしれません。


戦争賛美の意思は、私にも、作者の陳サンにも毛頭ありませんが。
まあそうでもしなきゃ動かないものがあるというのも現実かもしれません。
(でも近代化が絶対正義とも限らないけどねー)(身も蓋もナイ。)