「男子の本懐」城山三郎

「男子の本懐」
 城山三郎新潮文庫(1983.01)


張作霖爆殺事件っつー、戦争の前哨戦と。
満州事変に挟まれた。


うっわー、いかにも抜けなさそうね、という感じの内閣の人たちの本です。
引っ張ってもちょっとやそっとじゃ動きませんね、こりゃあ。
ラストは軍部(だと思う)の暗殺で締め。
てゆか、盟友だった銀行屋さん(蔑称のつもりはない)(大蔵大臣ス)も殺されやがりました、殺して事態を済ませようとする風潮は、もともとあんまり好きじゃありませんが。暴力とはなんの縁もない人たちに対する最悪の形での暴力は、さすがに純粋に非難してもいいよーな気もします。
ろくでもねー。
(でも、言ってもしょうがないからあんまり言わない。)


彼らが生きていたら戦争にはならなかったと解説さんは言うものの。
けれど私には、その言葉自体にはすごく納得がいくものの。
どう足掻いてもどこかで殺されてしまったよーな気がしないでもないのです、どれだけ用心したとしても逃げたとしても、どけだけ幸運に恵まれても。
破滅から抜け出すための分岐は、もう少し前にしかないよーに思えるんですよ。




でもだからって、うーん。
この人たちの人生を意味のないものとして扱うのはあんまりですよね。


Wikipedia金本位制
(金解禁から転載されたもの。)


がなんかよく理解できなかったからじゃあありませんが(いや出来なかったけど)(いや待て、本気で情けない)、要するに≪金解禁≫てのは、ここでは経済の健全化と考えるのがわかりやすいと思います。
満州事変のほとんど直前です。
張作霖爆殺事件の犯人を罰することをせずに、「同じ系統の犯罪を行っても、罰されることがない」という風潮が広がってしまったというそんな時期。


いくつかの戦争による、直接的な賠償金やら。
火事場泥棒のよーにして手に入れた利権。
現地の激しい抵抗にあって、なかなか植民地として機能しない「満洲」やら。


そーいうのを眼前にして、経済の健全化ッ!


というのは、もうなんか、健全を通り越して鈍いんちゃうかと思いマス。
いや、非難してません、非難じゃない。;


金本位制っつーのは、いや、辞書では理解できなかったけど、「国が備蓄してる金の量」だけ通貨を発行する、というシステムのことで。
(申し出ればいつでも金に替えることの出来る通貨。)
これは事実上、インフレがありませぬ。
なので、軍部が軍事費を使おうとしても無理かもー、というような思惑が銀行屋さん(だから待てヨ)と浜口のおさちさんの間にあったっぽいです。
あ、おさち(雄幸)さんが総理大臣っス。


えーとあと、タイトルの「男子の本懐」と言って亡くならはった人です。
襲撃されてから死ぬまで結構時間があるので、どの段階で言ってたか忘れたー。
なんかね、てめぇは死ぬなーッ! というふうに、さっき(さっきかよ)ちょっと思わないでもなかったんですけれども、死ぬかもしれないってのは、うーん。
そう書かれていたんですけれどね、何度も。覚悟があったって。
そうだな、その「流れ」にはもう抗いがたいって思ってたのかもしれない。
けれど、それでもやる。
無駄かもしれなくてもやる。




インフレを喜ぶ、商業の上のほーの。
財閥さんとかのでぶった存在が金解禁に喚き、それと前後して起こる締め付けの金融政策に対して非難を向ける。
そこまではいいんですよ。
でも、それに下のほーが同調する。
本当に底辺で、辛い生活を送っているよーな人たちには、きちんと理解されているんですけれども、中流は自分たちの我慢するちょっとの部分が耐えられない。


金融のことにあまり触れず、どちらかというと政策寄り。
政治のパワーゲームとして置き換えて説明される作者さんだからなのかもしれませんが(褒めても貶してもいません、単に性質の話)、どうにも、金融ゲームに興じる人間たちが、狂ってでもいるよーにしか見えませんでした。


そーして、その後ろには戦争、軍部拡大という影が見え隠れしています。
ひょっとしたら私の偏見なぞではなくて、本当に狂気なのでしょうか。