「わが上司 後藤田正晴−決断するペシミスト」

決断するペシミスト わが上司 後藤田正晴 (文春文庫)

決断するペシミスト わが上司 後藤田正晴 (文春文庫)

≪密林.com≫

この本を持ってとろとろしてたら。
「あー、危機管理なんかで有名なヒトよね」
だとか母がゆーたのですが。


“危機管理”とか言われても、この本の内容だと今現在の“危険”には対処しにくいんではないかな、とかちょっと思った今(いやまあ今ですが)。
なんていうのかですねー。
どこがターゲットになっているかくらいはわかるじゃない。
そして、誰が、というところまではわからなくても、危険をもたらす相手の属性ってか方向性くらいはわかるじゃないですか。
今なにがなんだかわかんないところがあるじゃないですか。


この本で扱われている時代は、うーん、そうだなぁ。
私なんかに一番馴染みの深いバブル期を挟んで、団塊の世代の生きてきた時代と重なるのかなぁ。私くらいがだいたい団塊ジュニアのラストかな。




てゆかそもそも、「団塊の世代」というのはもっとも人口が膨れ上がった時期と考えてそんなに遠くないらしい。
なんていうのか、生まれた時に、もっとも未来の希望とかあった時期でもあるのかもしれない。産めば産むほどいいんだよーん、て感じ。
そして彼らは育つにつれてわりかしと、その突っ走った世代のツケを払ってみたり。
それでも「まだまだぁッ」、と同じよーに突っ走ってみたり。
上からの押さえつけに「うがぁ!!」と反発してみたりと忙しい世代です。


まあなんていうか、元気だよ。
んでもってなんていうのか、あんまり頭が良くないっぽい。
(個体個体でなくてね、なんていうのか世代でもあるじゃない。)
(この人らの直後の世代が、かなりクールです)(上が無茶してるとネ。)




そしてその人らがやった事件、つーてと。


東大の「安田講堂事件」だの。
あさま山荘事件」だのー? だったっけ。


でも残念ながらこの辺は別の本なのだそーです、んでもって、どっちかというとこの本は、そーいう事件を経て一種英雄みたくになってしまった筆者さんと、周囲との軋轢の繰り返しみたいなところもありました。


その中で、もっとも筋が通っていたのがこの本のタイトルのヒト。
(と、多分少なくとも筆者さんは思ってる、私もまあそれでもいいかもくらいには思う。)


警察出身だという後藤田さん、多分大臣として捉えるのが正しいのかな。
ペシミスト、というのは悲観主義
悲観主義の挙げ句の果てに、このヒトはハト派と呼ばれる、えーとなんていうのか武力とか大嫌いな立場で、そしてなんていうのか男の子めいた武力を振りかざすよーなことすらエピソードとしてない。
防弾着すら嫌がってたな、さすがにちょっと面白かったみたいだが。




筆者の佐々サンは、攻撃は嫌、だけど防衛に関しては先制してもいーかなー、と思うような立場の人で、だから後藤田さんとは立場がちょっと違う。
だからよく、意見を戦わせ合っていたのですが。
それでももっとも信頼していたのだと思うのですよ。


ていゆうかさぁ、後藤田氏がいたからタカ派であれたのかもしれないとも思うのですよ、だから「ペシミストの決断」。
悲観主義で、ハト派っていうよりどっちゃらかというと、平和主義に近いよーなじーちゃんが、決断しなきゃならない場面なら、それはもう、どうしようもない状態なんだから、実行部隊は迷うことなく行動できると思うのですよ。




ソレって、ありがたいけれど、じーちゃん苦しくなかったのかなぁ、なんてことを思わないでもありません。ハトなじーちゃんが戦いの決断をする。
ちょっとこう、「危機」の具体的なことを書いていないので、ふわふわと浮いてみえるのかもしれませんが。


国際紛争も、テロルとかも、一つ一つの事件も、その時代という文脈の中に置かないと全く意味がわかんないと思うんだよね。
ちょっとだけ書くと、国際紛争のたんびに日本に援助せんかい、という要望があるわけですが、お金で済ませてきたっていう事情辺りがこの人らの判断。


国内の防衛については、佐々サンの意見が通ることもありました。
強硬な策でもって突っ込めば、犠牲も出ます、人も死にます。
それ以上の死を防ぐためでもありますが。
時間との戦いのような面があります、「なにが一番被害が少ないか」。


喪わせることを前提で、派遣しなきゃならない人なんてのもいる。


そもそもこの本の後藤田氏が最初に出てくるのは。
あさま山荘事件」で失われた警官の側の犠牲者に対し、自分が大臣を辞めるよーな時に言及したというスピーチの話だったりもします(何十年もたってる)。
そういう記憶が、そもそも残っている人なんだそーです。忘れない。


優しい人が一番辛い決断をしてくれると、正しいのだと思います。
ちょっと残酷な話ですけれどね。