「ダライ・ラマ自伝」

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

≪密林.com≫


この本で初めて知ったんですが(生まれ変わりを代々選定しているということは知ってました)、なんかずいぶん面白いことやってるんですねー。
先代が亡くなる時に次代の概ねのところを“予言”。


そいでもって、先代のお付きの者であった数人が探しに出。
いくつか奇跡めたいことが起こることによって、その存在が見出される、ということらしいんですよ。
ぶっちゃけこれ、全然不思議なことが絡んでないほうが面白い気がする。
(なんといったらいいのか幼子を探し出して、君がダライ・ラマですよん、と言い聞かせて先代の関係者たちも混ざって育てていくのっていいような気がする)(ちょっとずつ入れ替わっていくんですけどね、やっぱり。)


Wikipediaダライ・ラマ


てゆか、チベット仏教の、えーと、初代は誰だっけ...orz


うわ、全然知りませんわ、当時のモンゴル帝国のアルタン・ハーンに最高のラマ僧みたくに扱われたってことなんですが、ダヤン・ハーンの孫、、、って、この時点でわからんなぁ。まあ要するに、チベットのすっげー偉い人らしいよ(略しすぎです)。


んで、今も生きておいでです、この14代。
チベットの国のほーがなんかやべーらしいんですが、すみませんでした、軽く耳にしたことがある程度で知りませんでした。私は基本的に中国贔屓なんですが、さすがにこの話でそうするのはよくないなぁ、とは思います。
なんというのか、彼は中国の言うことを聞かせられ、傀儡として扱われそうになっていたんですが逃げ出して、国も、そうなるべきではないということを主張しています。日本に来てそういうことを訴えたこともあるそうです。
(てか、知ってたのは主にその部分。)




どうやって見出されたかということ、どうやって育てられたかということ。
そしてどのように「中国」が彼の生活に忍び寄ってきて、侵略をしようとしてきたのかということを、わりと淡々と語っています。
そういうことのある前、彼にとっての中国は、もうちょっと目新しいものであったのだということも。例えば軍が残していったもの(ダライ・ラマは俗世から隔絶されているわけなのですわ)、たまに見せる、進んだ国の顔なんかを悪くは思ってなかったようっすー。


で、侵略が進み。


彼は国を追われることになります、そうしなければなんというか、ダライ・ラマさんが加害者になってしまうところにまで来たというかね。
んで、逃げていく中での生活。
彼の名を慕って集まる人々、ままならぬ現実。


やっぱりこう、なんだかひどく淡々と語られています。
なんていうのかなぁ、どっからどこまでを語るかということが、あんまりはっきりしてないというか、いや、実際人生のどの部分を取っても非常に面白いんですけども。


チベットの現状をなんとかして下さーい、という本ではなさげだし。
ダライ・ラマてのはこんなですよ、という感じの紹介本でもなさげ。
いや、「彼」が自分を語るだけでチベットの歴史も、チベットの現状も当り前のように総括するのはよくわかるんですが。
いや、なんというのか、偉い人ってわりには素直すぎるんだよな。
この現状なら訴えたいこともあるでしょう。
偉い人なら語ってはいけないこともあるはずでしょう。
言ったらイメージを崩すんではないのかという懸念なんかもあるんじゃないでしょうか(それを考えると日本で発刊するというのは正しい気がしますが)(どんな宗教も満遍なく薄いし、ある意味どんな宗教も受け入れることが可能)。




うーん、やっぱりこう、ただ者ではないなぁ、とこれを書いててしみじみ思いますわ。
もともとはわりと革新的な人というか、チベットの旧体制に物申すこともあったらしいんですけどね。やんちゃ、と言ったらわかりやすいのかな。
だからこう、「中国」への反発もはっきりしちゃったみたいなんだけどね。
(身体的にはまず傷をつけられないものの、周囲を助けることなんかは出来る限り止めさせたいというかまあ、複雑なんですよ、とにかく特殊な存在だから。)


でも、なあ。
そうやって逃げ続けているうちに魂みたいなものが磨かれてしまったんでしょうか。
ちょっとそんなこと考えてしまいました。


チベットって国はこれからどうなるんでしょうか。
申し訳ない、あんまり知らなくて。
ダライ・ラマの次代は現れるのかなぁ?)