第15話「闇にうごめく恐怖」

私はどーも、≪あけぼの町≫が好きだったみたいです。
町の住人の一人としてのヒーロー、ケンジくんは新参だけどね。そーいう文脈で好きだったんじゃないのかなぁと。
わりとずっと、どこがいいのかわかんなかったもんな。


普通に面白い回だと思ったんですが。
なんか詰まんない...orz


完全に外部、武器つながりのヒトなんですよね。
新しいキャラクタのお兄ちゃん。いや、面白いとは思うんだけどさぁ、魔物にもなんかやたらと詳しいし。前にもケンジくんの許婚の回で、他にも魔物が存在するということが示唆されてましたが(あの回を真面目に聞くのは至難の業という気もせんでもないが)。
恒常的に魔物に襲われ続ける町が珍しいってだけなのかな。
まあさすがにそーでないと、外界の反応おかしいか。


(SOHTの予算も出てないのだとさ。)


魔物を倒し続けて、それよって手に入る「鍵」を集め続けていたのだけれども、最近鍵の出が悪い、別の方法で作られた魔物もいるし、そもそも同じ鍵ばかりになるということもあるのかな?
まあその辺よく覚えてないんですが。
鍵を求めて町にやってきたようです。




そーして、体内の血液中に含まれる鉄分を増幅し、そのための因子をヒトに感染して廻る魔物が出てきて、その正体に見当がついていても(まああれだけ特徴的な症状が出るのならば前知識があれば一発だけど)、そのことを町の住人に告げたりすることはない、とケンジくんなんかにも怒られていたわけですが。
でもそこは実際面倒いよなぁ。


わざわざ己の素性を明かして、その知識があることを周囲に信じさせて、対処法を触れ回ってー、って、そこまでする筋合いないよ。;
ただまあ、知り合いになったら、一言ヒントくれるくらいのことはあるかもね、という幅はあるけどさ(しかし脚本家によりそうだ)(設定を読んでもなんにもなんねーw)(まあ私にとってはそこがいいんだが)。


まあ、目の前で襲われてた花屋の女の子は助けたし。
その時に少々の怒りは見せてたしいいんでね?
自分たちにもう少し知識があったらー、というケンジくんの怒りがわかんないとまでは言わないけど、ぶつけられなきゃなんないとも思えんね。




そもそも、魔物全体に法則ルールがあるのかないのかもわからない。
今回の話が面白かったのは、魔物に「生態」とまで言うといいすぎなんだけれども、独特の行動のルーティンがあるように見えたからなんだよね。
(そこを工夫した、つーかその意思があるという特撮もあんまし多くはない、ウルトラマンには怪獣の「動機」がある番組もあるけど、それは生物のソレとは微妙に異なるわけ)(一時的に「表われる」ことへの説明だから。)


「人間が襲われるシチュエーション」を作り出すために、敵が演出されるという話は、見ている側がそれを認識していなくても微妙に面白くない。
最初からの予定調和なのだと、なんだかんだとわかるわけだ。
白ける、というとわかりやすいと思うんだけど。
ただもちろん最初から、「これは倒されるためだけに作られた敵なのだ」と、ヒーロー側の鉄鎚を楽しみにすることが出来るのならば、それはその限りではない。別にそれが間違っているとも思わないけども。


それは多くの人が、こと特撮というジャンルで共有できるかというと、その可能性は薄いと思う。
そもそもその感情(単純正義の執行を楽しむ)ならば、代替ジャンルがあるんだよね。廃れたことは多分、人類文化が出来て以来ないのではないのかしら。
正義がただひたすら「悪」を倒すだけの話。
その、幼稚さ、というか、そんなことを責めても無駄だと思う。
私にだって当然ある、馬鹿にされるとムっとする。
でも、それ自体は思考の休息のようなもので、別にそれを尊いというつもりはない(そう言い切ってしまう人も、下手に馬鹿にされたことへの反発であるのならば構わないと思う)。




まあ、えらく遠回りしましたが。
外敵がやってきて(倒されるためのソレではなく)、人間側の余所者がそれを知識を使って撃退っつーか回収してくわけですが。


その筋道は純粋にそこそこのレベルだと思う。
母も、なんとなくといった風情で見てたしね、面白くはあった。


ただ、外部から来た敵と、外部から来たヒーローが戦うという話は、私はあんまり好きじゃない。
(内部からの存在と、内部のヒーローの戦いがチャチいのは誰が指摘しなくても私も充分に知っているがw)(その上で。)