『姑獲鳥の夏』

『姑獲鳥の夏』
監督:実相寺昭雄
出演:堤真一永瀬正敏
  /阿部寛宮迫博之


京極夏彦作品の映画化というと、ぶっちゃけて。
阿鼻叫喚の地獄絵図(ファンの)になるとしか想像してなかったというのに、妙に公開後に大人しくなったというか、さりとて褒めているというのもほとんど見当たらず、つーかあれだけディープなファンがいるというのに、言及してる人たちの冷静なこと冷静なこと。


というわけで、見るまでに公開当時のことを忘れていたというのが本音です。


監督の名前つながりで借りたんだもんなー、これ。
いやまあなんていうのか、「ああいう」作品をこれだけ無難なものにまとめるのは一種才能という気がしないでもないんですが。とてもやっつけ感がするのはなんでだ。
なんというのか思い入れがある分だけ妙に捻じ曲げる、とか。
自分の趣味を優先して原作というより原案にしてしまうとか。
そういうのが原作付きの場合に嫌われる内容な気がするんですが。
だってこの映画、どっちもほとんどないんだもん。つーか実相寺テイストは出ていたのかもしれませんが、もともと京極テイストと相性が良かったのかもしれません(いかにもありそうですよな)。


で、どっちの味も消えたと。
ああ、なんとなく書き始めたんですけど、ちょっとありそうな気がしてきた。




つーかまあ、私的に関くんがおっけー。あれでよろし。


あとはなー、正直いい俳優使ってるしイメージなんてもともとそんなないんだけど(思い入れはありまへん)(まあ皆極端だから)、なんか違うよなぁ? という気もします。個人的に特に気になったのは榎木津さんかなー、貴人変人の(誤変換したけどこれでいい気がしたのでそのまま)ハイテンションっつーよりか。
単にマイペースさんじゃね? あれ。
意外と言ってることが常識的で、しかし態度のせーでとてもそうとは見えなくて、あとで「あああ、そうだったのか?!」と思わせるというのが彼の持ち味だと思ってたんですが。最初の最初から、「ありゃ、なんかこりゃワケがあるな」と思ってしまうというか。
まあ、あの雰囲気を再現するのは難しいってことなのかなー。


あと、なんかこう、説明がかつかつ。
映画だから仕方がないんですが、だったらだったらでもう少し内容を変えるなりなんなり(こっちは媒体違う時はしゃあないと思う)すればよいものを、わりと小説のまんまで必要な部分だけを切り張りしてるっつー風情というか。


はっきり言って、原作の状況のトレースは可能なんだけど。
そして意識を集中していれば「理解」は可能なんだけれども、そうしたいかというと別にそんなことはないですね。面白くはなかった、事態がするすると解かれていく興奮なんてものは丸っきりありませんでした。


――ああ、なんか今説明してるな。


とだけ横目で見てました、多分ちゃんと成り立っているんでしょう、しかし先が気にならない。すでに解答を知っているからじゃあないですね。
雑音が魅力であって。
本来なら「彼ら」には、「解決」には必要のないものが含まれているからこそ、我らの生活や意識にも近くなるのであって。それを排除してしまうのならば単に奇妙な人間たちの、わけのわからない遠い振る舞いにすぎないんですよ。
どんなに理屈が通っても、それだけで面白いわけがないんですよ。
それが原作の魅力だと、私は思ってないんですよ。筋が通ることだけが好きなら数学でもなんでもやってるわい。




このシリーズの作品では、常に幾つかの事件が平行して起こります。
そしてキャラクタに関する過去が紐解かれる。


話の中核になるトリックなんてのはさすがにフェアなものの(どうかなw)、しかし事件全体の状況が構成されるうちには大概妙な偶然ってのも多いんですよ。けれど私はそれを欠点とは見てない、私に限らんでしょう、それで構わないくらいの力がある。
説得力というのか、納得させるものが確かにあるんですよ。
映画にそれがあったのかというと、疑問なんですよ。奇麗に整っていて、変なところは原作のせいですよむしろ、そういう設定なんだし、けれど、その無茶を押し通すだけの力を感じなかった。それが欠けていたよーに思うのですよ。


とある元華族の病院に。
二人の姉妹がいて、その姉の夫がある日突然に消えました。本当に、とある部屋に入っていってそれきりになってしまったという。そして時折、新生児が人知れず消されているのではないのかという噂。


妹がそれを探偵の(榎木津さん)ところに持ち込み。
そこで関くんと出会い、全ての幕が開けたわけですが。


まあ、雰囲気はあったんだけどね、小説を念頭に置かなければ京極堂も刑事も(名前忘れた)悪くはなかった。
でもなあ、それ以上のもんでもなかったというかねぇ。