『カクレカラクリ』

原作:森博嗣
出演:加藤成亮平岡祐太
  /星井七瀬落合扶樹


「コカコーラ120周年記念」の文字を見てぶっと吹き出して、なんでドラマなんだろう、とか突っ込んじゃったんですが、意外とあとからおっけーおっけーって思っちゃいましたよ。うーんなんていうのか、私、謎はチープであるほうが好きなんです。
考えるのが好きか嫌いかっつー問題ではなく。
「仕掛ける」側の意図に納得がいかないんですよ、謎そのものがいくら精巧緻密であっても(それはぶっちゃけそんなに難しいもんでもないよーです)、そうしなければならない事情ってのと結びつかない。


何度か繰り返した例えですが、ホラーのジェイソン。
なきゃ話が成立しないのはわかっているのですが、仕掛けたのが人間である限りその動機を大抵は明かすべきで、その時に詰まるのは正直遠慮したい。
(致命的だとまでは思わないんですけどネ。)


この話の謎の動機はなんちゅーか結構チープでした。
それなりの目的も意図も、一応はわかんないでもないんですが、しかしどーにもこうにも懲りすぎみたいな苦笑いは否めない。
しかしそれをあっさり許したのは、なんてーのかなぁ、基本的に「謎」も本篇もぎりぎりのところで善意で構成されていたからなんではないのかと思います。




具体的にいえば「俺の時代だ」と二番目に呟いた「犯人」の時点でもうこれは、許さざるを得ないと思ったというかな! そうか、そんな動機だったか!! いい年して!
いっやー、もうはっきり言って、いつ人が死ぬのかな、死ぬのかな、どんな内容で死ぬのかな、と待ち続けてマジごめんなさい。コーラ番組だしいらねぇよな!


別に人が死ぬ描写が嫌なんではなくて、殺人さえ描いておけばあとは察しろ、説明なんかいらねぇやー、という投げやりぶりが好きくなれんのですよ。
(だからミステリの殺人はある程度仕方ないし、人が減り続けてく、という展開の場合はそういう意味では別のところに分類してますが。)


いや、そう、長すぎますが(前置きが;)。
人は死にません、やたらと謎解きに拘る主人公も、結構に他愛ないものでした、「妹、死んじゃったのかと思ったー」という熊ちゃんの態度のほうに共感。思いつめすぎ。
でもまあ、いいんじゃないでしょーか。
そういう思いつめてるってこと自体を笑わんと、会いに行きゃいいって言う子が横にいるからだと思うんだよね。ベタでいいじゃんね、その手の描写だけは。




この話は、二つの名家が村を別け、理由もわからずに対立している中で。
ぶっちゃけロミジュリ状態のお互いの家の子たちが中立の外の人をバイトと偽って呼び(どこで引っ掛かったんだw)、したら呼んだのと逆の主人公が、これもやっぱり己の事情で乗り気になってくれたと。
んで、女の子のお姉ちゃん(as栗山千明w)が参加して全部で五人。


的に矢を当てないカラクリ人形を皮切りに。
その人形以前まで仲が良かった両家の確執を調べて行くというシンプルな話。
理由はもっと単純、二人が堂々と外で会うため。w


金塊が隠されていて、それを見つけられないから揉めているのだ、という説明はありましたけども(それを信じている村人たちはいるものの)、最初に主人公が村に来るきっかけになった軽薄な熊ちゃん(名前ネタで延々引っ張るんだもん、覚えるさ;)は反応してましたが。他はあんまり金銭欲自体がないみたい。
(浮き世離れした集団といえば言えるよーな。)




ラクリ人形に、両家の持つ一つずつの石碑。
それと今も子孫が残る、両家と関りのあったカラクリ人形師。


ミステリお決まりの設定に、漫画チックな人物描写、名前を間違えて覚えてしまう主人公に、女のことばかり考えてる大学生、気の強い少女に完璧な誰からも慕われるお嬢様、気の弱い押しの弱い少年。
しかしなぁ、夏休みの間の冒険譚。


見付けた謎の答えが、それもやっぱり少し面倒でもなんでも善意からなったものなんだと、いう結果に至るのならばそれも別に構わないよーな気がするんだよね。
ドラマがわざとらしくあっちゃいけない、というのは絶対ではないと思うのですが。
それでもやっぱりバランスというものはあってしかるべきだと思う。


私は、この道具立てのこの子たち、軽い言葉の中に意外とナイーブな面を隠し持ってるなんてぇ(そこもすでにベタなんだよ)描写ってのは構わない。


まあ、他愛ない話でした。w
そこが良かったといったら良かったんじゃないだろうか。
お姉ちゃんも、両家の当主たちも(えーw)ひっくるめてなんか可愛いなぁ、というふうに思えたのでまあそれでいいですよ、私は。