「白い部屋で月の歌を」朱川湊人

あ、なんか少し文章軽め。

「白い部屋で月の歌を」
 朱川湊人角川ホラー文庫


一言で言ってしまうのならば、、、という枠には少なくとも嵌まらない話かなぁ。
私が好きな話の中の一つにフランツ・カフカの≪拳の紋章≫という短篇があるのですが、出来れば国語の教科書に載っていた訳で。
どこが好きかというと、天に届く塔を作ろうとして万策が付き(ざっくり)。
さりとて長い時間、世代を超えてそこに住まっているものだからその町から出られない、そーして「神がこの塔を壊してくれまいか」と望んでいるのだというシーンです。
あそこがものすごく好き。
多分、私がそういう性質なんじゃないでしょうか。w
(なんーか、ややこしいが。)


読んだ方には見当付くかもしれんのですが≪鉄柱≫クロガネノミハシラ、のほうが私は好き。あそこのラスト。
「あの柱のことは好きになれないが、この町の人たちのことは好きになった」


というその呟きが好きなんですよね。
この町には“ミハシラ”というものが存在します。
ある意味で町人たちはそれに縛られている。
しかしね、ミハシラがなにかをするってぇわけではないんですよ、なんていうのかなぁ、意味はぼかしますがこの話はホラーじゃない。
わりと定番の設定でねー、絶対ホラーだと思ったんですが。




あ、表題作はホラーかな。
これはどっちかというとオカルト分類かもね(細かいね)。


まー、さくっと言ってしまうと、『ウルトラマンメビウス』に11月放送の脚本を書くってんで借りてきたんですよ物好きな(一息)(>ウルトラマンメビウス/あの『怪獣使いと少年』の!:特撮ヒーロー作戦!さま)、まああまり読むのに時間が必要じゃない性質なので大したことではなかったんですが(一日で三冊ほど読みました)。
あんまり『メビウス』好きじゃないよね、多分この人。
なんていうのかテンポが違うもん。
いろんな感情が「置き去りにされている」みたいに思うんじゃなかろうか。


そーして、そういう感じの人です。
置き去りにする側、置き去りにされる側、どちらがどちらって決定してるわけでもないんだけれども、加害者が加害者って決まってるわけでもない、被害者が全面的に可哀想っていうわけでもない。
相手が話を聞いてくれなくて、もしくは語ってくれなくて。
事態の中に放り込まれて違和感や疑問を感じてるみたいな作品でした。
2本入ってるんだけど、2本ともね。




スタイルとしては主人公の一人称。
叫ぶってことはほとんどないんだ、あってもそれが当り前、動揺して当然って状況の時だけなんだ。けれど、どんなに信頼してる相手のことでも、どんなに愛していても納得がいかないってのは一瞬たりとも消え去らない。
ずーっと抱え続けていく。


抱え続けたまま、生活をしていく。


しかしそんな人ってのは、現代ではもう珍しくもなんともないのかもしれません、こんなふうに明確な対象はないんだろうけど(ミハシラは命に関ります)(ホラーじゃないヨ)。


≪白い部屋で月の歌を≫の主人公は、憑り代という存在。
霊を体の中に入れて除霊をするんだってさ、だけどその替わりに手も足もほとんど動かない。動くことですら人の手を借りなくてはならない。
昔の記憶もなーんにもない。
しかし彼は恋をした、そして人間になろうとした。


私的にはこっちの話はちょっと不満ですかも。
主人公はもうちょっと、師匠の人とちゃんとぶつかりあって欲しかった、能力的にそうならないからの結末なのかもしれないんですが。
案外と、悪意らしい悪意はなかったのかなという気もします。
(弟もちゃんと通帳取りに行ってるしなー。)
(その前にやってたサボりが悪かったということだろうな。)
けれど残酷ではあったよね、傲慢というのかな。




≪鉄柱≫は上司の愛人と出来てしまって。
地方に飛ばされてしまったサラリーマンの話。
口々に町人たちはその町のことを褒め「日本一暮らしやすい町」と言いますが、、、という話。この話を、ちゃんと予測できる人は多分いなかろーなァ。
私は上記のフランツ・カフカの短篇を思い出しました。


ある意味で運命がテーマといえるんだろうか。
大事なものを奪った“ミハシラ”を主人公は憎みます、その時の町の住人たちの態度は、私にはなんか結構予想外でした。
「受け入れた」んですよね。


そして、穴から這い出してきました。
次からの日を生きるために。
本当はミハシラのせいじゃないなんてことは、彼にもわかっていたのでしょう。