それは要は供物なんじゃねぇのか。

http://d.hatena.ne.jp/ma-asa/20060605/p1


ゾフィーさんずるい。


この話はもともと多分、私のスタンスとASAさんの趣味の志向とのズレから生まれてきたよーな気がします。「死」(の描かれ方)に拘る私と、ディティールよりも結果をご覧になる傾向のあるASAさんと。
てゆか、「とうが立ってる」のはそのずらずらずらっと、別番組に出てきたウルトラマンのことを把握してるそのご姿勢っていうか、、、っ。
歳月じゃありませんよー、どこまでウルトラマン好きなんですか。


どっちかというと、神話趣味なのは私なんですが、ASAさんがそっちに行かれたので私は反対側に廻ります。


基本的には、物語りのストーリーを構成を考える上で押えておかなくてはならないのは、とりあえず製作者の趣味(基本すぎや)、進行上の見栄え・世間受け、それとは些か逆方向の「説得力」。
予算等、制作上の外的要因ってのもあるでしょうな。


とりあえず平成ウルトラマンの『ウルトラマンティガ』では、主役にアイドル使っちゃったから殺せなかったんじゃないのかと邪推してみるのですが如何でしょう。でもそのおかげで新しい血が入ったんじゃないかと思うんですよね。
その後の、ガイアまでの流れになったし。
今もなんとなくその雰囲気が残ってる気がします。
私、あれは非常に「憑依」ぽくて嫌いでないんですよ。
旧来のファンの方らにはいまいち評価が低いっぽいですが。
(非難するものでもないと思ってられるよーなので目立ちませんが。)
(それに、「アイドル」ってのはもともとそういう存在だと思ってるんですよね、良いアイドルは多分、操られ型の役は無理しなくても嵌まるっちゅーか)(だからそこらを弁えたアイドル映画は評価が高め。)




まず、主人公側の「死」はケレン、味付けであると位置付ける。
単純に山場ですね。
なんだかんだと死って一番のドラマですからねぇ(娯楽ともゆう)。


そして、上の押えておかなきゃならない条件の中に入れてませんが、「過去の成功例」という答えがあるでしょうね。一作目で当たったソレに、次からの話が模倣したのだというシンプルな答えがありえないはずがない。


けど、繰り返しは飽きられるはずなんですよ。
でも『ティガ』も明言してはいないものの雰囲気を踏襲し、そしてまたネクサス、メビウス(私が見た物だけです、チョイスに意味はない)でも、ネクサスは「死」とウルトラマンが前後してる、メビウスではメイン人物からズレた、という変形が起こりつつも。
なんだかんだとスタイルは維持されてますよね。
それがシリーズなんだ、という言い方は出来ますけど、「そこがいい!」というファンは少ない気がするんですけどー、私だって別に面白いとは思うけど、不可欠とか思わないですしー、意外とそうでなきゃっていうファンはいるかもしんないですけどー(気付いてない人が大多数だろうしー)。




んで、「ウルトラマンはもともと怪獣なんですヨ」。
というところに行きたいと思うんですが、ウルトラマンが「デウス・エクス・マキナ」だとして、機械仕掛けの神ですよね。
物語りを強制的に(意思もへったくれもなく)終わらせる、という存在のことを指してゆーそうですが。初代ウルトラマンはまさしくそんなだったそうです。怪獣を潰して終わり? みたいな??
(見てないし話はそこまでシンプルなとこまで行かないし。)


だったら、なんでソレが人間の味方をするかの理由付けは必要でしょう。


正しい存在だから! みたいなことを語ったら道徳になるし、てゆかそんなことされたら胡散臭くて見れないしー、敵がどんなにあくどいか、ということを主張してそこを説明することもありますけど、ウルトラマンの怪獣ってそんなじゃないわけじゃないですか(悪事を企む系宇宙人ってのはわりと最近なんじゃないですか? 多分だけど)。ありゃ災害。


んで、だから人間の供物がいるのかなー、と。
仮面ライダーはそもそも人間じゃないスか、んで敵も「悪!」じゃないですか、異星人じゃなくて人間、だったらそこの動機付けは(正義がなされる)そんなに必要ないのじゃないか。
見てて「なんでコイツは人の味方をする!」とかはないっしょ。
そこまでいったら本気で疲れた人です、休みましょう。寝れ。


この辺は説得力の話です。
大多数に、シンプルに納得される話、というかパターンってのは少ないということなんではないのかと思うわけです。


とりあえず、もう一回続きマス。