「娘の結婚」(『晩春』より)

「娘の結婚」
監督:市川崑
出演:鈴木京香長塚京三
  /仲村トオル


どっかで見かけたんですが、起承転結というかオチというか、わかりやすさにおいては『晩春』より優れていると言ってもいいんではないのかと思います。が、「わかりやすい」=優れているとは限らないのが世の常ですね。
わかりやすいから駄作っつーのもさすがになんですが。
感情表現というか、一つずつのシーンの質では私は『晩春』を挙げます。
や、名作と一緒にすんなとでも言われそうですが、これは良かったですよ。


面白いのが、俳優が違うということももちろんですが、ほとんど同じ台詞廻しでもって構成されているのに微妙に意味が違って聞こえることがあることでしょうかね。
なんというのか、力関係が違って見えるというのかな。


言葉が同じでも、別の意図のあるような気がする。
もちろん、こちらのリメイクでもくだくだしい説明なんてのはありません、そもそも派手な喧嘩や言い合いで話が進んでいくわけでもなんでもないもので(そういう「見せ場」が必要ではないとも言います)(それは正直、多分に監督自身に名声があるかないかにも左右されると思いますが、この人の作品なら、と頭を使うことを最初からしてくれるというかね)。
つーか、日常の会話に説明があるなんてこと、実際にもないでしょう。


喧嘩ならなんらかの決着があってしかるべきなんだけれどね。
(だから、「おじ様、不潔よ」と言い切っちゃった紀子さんにはフォローが後に入ることもあるわけさ。)




この話をどんな話か説明しよーとすると、『晩春』においては「行き遅れの娘が」というところで済むわけですが、現代では必ずしも成立しない。
けど、地方とか立場とか、まあ娘さん個人の気質では充分にありうるわけで。
いや、そもそもそんなでもないか、『晩春』にもキャリアウーマンの女の子出てきてるしな(こちらは離婚)、でも紀子さんには無理よと(でも鈴木京香さんは一人でもなんとかなると思うけど、、、結婚するのが自然だよなこの人)。


まあいい年して結婚してない娘さんが結婚するまでの話で。


要するに娘さんは美形でずっとお父さんの世話をしていて、料理なんかも当然一通り出来るわけでちょっと押しが強いところもあるけど芯の優しいいい子ですよ。
見合い話が持ち込まれて、しばらく渋ってたけどお父さんにちょいとした「嘘」を付かれて後押しされたら一発で話は決まりましたよ。
まあ結婚しちまえば後のことは心配ありませんよと。


なんで映画になるんだ、そんなこと、という感じなのですがむしろ。
『晩春』もこれもなかなか面白かったですよ、ホント。




さて、監督さんがなにを描きたいのかというと、まあ、「紀子さん」なんだろーけども、じゃあ彼女をどんなふうに表したいのかということを考えた時に、そこにちょっと口数が少ないけども、娘さんが結婚しないでお父さんの側にいたい、と言っても違和感のない素敵なとーちゃんがいる(いい男だ)。
お母さんはわりと前に亡くなってしまっていて。
ゆっくりのんびりと時間がすぎていて。


とーちゃんはそんな暮らしに満足してるけども、妹だかなんだかが「そろそろよねぇ」(とゆか遅い)というと、訪ねてくる青年がいる。
その青年はと彼女が勧め。
それはいいな、ととーちゃんが紀子さんに聞いてみると。
「あら、あの方結婚が決まってらっしゃるのよ」というような返事。


この二人の関係もよくわからない。
遊びに行ったりはするんだけど、話もするんだけど、嫉妬かな、いやそうでもないのかな、というすれすれの会話を交わすばっかりで全然核心に触れない。
なんというのかな、もしかしたら、そんな状況に男が焦れてしまったのかもしれない。
どっちかが押してれば話は成ったのかもしれないが。
(それももう遅い。)




そして紀子さんに見合い話が持ち込まれて。
「お父さんのお世話があるから」と断る彼女に、なにもお見合いは貴女だけじゃないのよ、というようなことを言われたりするわけです。父ちゃんいい男だしな。


んでその前に、再婚した父親の友人に「不潔よ」なんて言ってたりするわけだ。
反対して、むくれるんだけどそれすらストレートに伝えないんだよな、この人は。


一個の台詞、一個の言葉がじゃなくて、流れというかやっぱり紀子さんの内面を描こうとしてるんだと思うんだけど、結局しみじみと残ったのは彼女の父親の彼女への愛情だったような気もする。
気の強いところもあるけれど、新しい世界を物を怖がる彼女の背を、それでもなんとか押したというそんな話だったのかもしれない。


この話を見てから『晩春』を見たけれど、しみじみとテーマを考えるのにとても良かったんじゃないかなァ。