んーと。

http://d.hatena.ne.jp/ma-asa/20060522/p1


「一般価値」とかも多少ありますが、平成ライダーを流れに含めてないのは評価の上下とは全く関係ないです、だったら『GARO』とか多分『龍騎』は入れてるし。
ただ、内部の流れが見えない、というのはわりと否定的な意味合いで言ってますが、進展しているように、私「には」見えない。ただ、特撮の画像の作り方などに関して進歩してるかどうかに言及するつもりはないですし。
そこを否定するつもりも軽んじるつもりもない。
ただ、私には興味がないのですよ。


あと、『Sh15uya―シブヤフィフティーン―』なんかへの外部の流れもあったなぁ、とか思い出してはみたんですが、興味がない。
話として面白いかどうかを置いておいて(好みとはズレます)。
「ヒーロー」が必要ないんですよね。
「ヒーロー性の否定」というのは『クウガ』でも行われていたと思うんですが、そこが非常に気になるのですが。なんだったら「ヒーロー」を置き換えて別のものにしても話が成り立つよ、というのは私は好きじゃない。
ただ、クウガとのつながりはわかります。
存在の意味はわかるし、そうでなければ私は出会わなかったとも思いますし、否定したいわけではないんですよね。本当に。


ウルトラマンのほうにしても。
ガイア→コスモスで、変化が主に怪獣の扱いの周辺であったのは知ってるんですが、私その辺のエピソードはもうすでに嫌いなんですよね。




ものすごく簡単な言い方をすると「殺し」が見たいんですよね。
これ、すごーく誤解を招くと思うんですが、裁きが見たいわけじゃあないんですよ。裁判が適切に行われて刑が執行されて、最後のスイッチを押す人であるヒーローには興味がないんです。
平成ライダーは別の文脈かなと思いますが。)
見ないかっていうと見ることは多分あります、数本はリストに入ってる。でもずっとは見ないなぁと。


ただ、「裁き」が「殺し」、あくまでも私刑になったのは。
なんというか好きな流れかなぁと。
(殺すばかりになった怪物がヒーローの前に現れて、それをどう始末するのかが命題となる話というわけでなくて。)
最初期はもっと別の意識だったと思いますが。
私はこの辺はまだちょっとわかりません。


なんていうか、非常に弱いヒーローが、もっと強くてでっかいものに立ち向かっていた話だったのかもしれないと思うこともあります。
(しかしウルトラマンは絶対的な機械か。)




キラーに関しては、あの人別に「人間嫌い」じゃないんですよね。
弱い者苛めっていうつもりもないでしょう、単に彼より強いのがいないんだ、見る人によってはダークメフィストと同じに見えるんじゃないかと思うんですが、多分私のほうが変化には敏感ですかと。
アバレキラーのことはすごくわかる。


でも、見る人によってはキラーって装置ですよね。ホント。
ダークメフィストは話のための装置としては、うーん、、、ホラー調というか、なんであんなに細々と人を憎むのかがわかんないというか。
裏を明かして進むホラーは詰まんないの典型でしたかと。
話が暗いのも、やたらと残酷なのもわかるんですが、「やたら」と残酷であって狂気があるよーに見えない。この世に似たような残酷さがないかっていうとあるんですよ、もっともっともっと酷いことが実際にある。
『ネクサス』はそれよりずっと優しいくらいですが。
けど、そこに動機が見えないんですよ、現実世界にある実際の残酷さを動機として据えてみて、それから物語りを解釈しなおせば悪いものではないんでしょう。それをするのが悪いとは思いませんけれど。


あんなこと、現実に仕掛けられたら怖いですよ。
でも、裏を、溝呂木を横目で見ながら(逆切れするほど腹が据わってない困ったちゃんにも微妙に見えないし、繊細にも見えないし、頭がよくも見えない)(なんとなく素直じゃないけど健全そーなお兄ちゃん)。
あの不条理な展開を見てるとね。


とりあえず溝呂木の襟首掴んでおしまいなんですよねー。
でも、キラーの「動機」が見えない人が作ればそんなふうになってしまうんだと思うんですよね。


ただ「力を手に入れて浮かれた」って解釈するとありなのかなぁ。
私、そーいう感情全然わかんないので。;


逆に単に、メフィストのことがわかってないだけかもしれないです。
頑張って理解してきますー。