「絶対可憐チルドレン(1」椎名高志

美神懐かしいなー。

「絶対可憐チルドレン(1」
 椎名高志小学館


ぶっちゃけると3巻から出てくる兵部青年目当てでさー、いやまさか、80歳オーバーとは知らなんで、おまけに露骨な美少年顔。我が侭だが微妙に気に入った者には優しいつー(要するにアラブ世界で暴れてる回)。
まあ好きなタイプってのはあるものですよ。我が侭とか。


でも出てる巻から買うのは己で気持ちが悪いので。


とりあえず三冊まとめ買いしました、大人買いというのには微妙に少ないよね、というか、もうすぐ5巻出るっぽいけどー(なにー?)。




したらなんつーか、かなりに己好みの話でした。
要するに私は、異なる存在同士のクロスオーバーが好きなんですよ、それが劣っていようと優れていようとそんなことは知らねぇ、んでフィクションにおいてなにが嫌いなのかというと「世界に傷付いて閉じこもる系」。
はっきり言って、好きな話とほとんどお隣さん、すぐ近く。
非難はしません、だってしょうがないじゃない。
それが物語りとして必要とされていることもわかるからね。


むしろ私は、些か道化めいて見える感じにがーがー喚いてる存在でありたいとゆーような気がします。だってそーゆー人たちに、なんも出来ることがあるわけでもないのに圧迫になったらなんかそれも嫌じゃん、嫌いなのは本気だけど。
でも黙んないよと。


可愛い10歳の女の子が三人いるわけですよ。
それをサポートする眼鏡のにーちゃんがいるわけですよ(3巻までではピンとこなかったけど、確かに影薄くなってるわ)、IQ200の天才とかって設定です。まー、ぎりぎり? 私も200となるとよくわからん。




んで、この女の子たちがそれぞれ、テレポーテーション。
サイコキネシステレパスの最高能力者。
「超度」というのにレベルっつールビが振ってあるんですが(小学館はこの辺ちょいとトリッキーな傾向があるような気がするんだが、詳しくないから気のせいかもしれん、ジャンプとかでもやりそうだしな)(でもあっちのはもろにヲタ表記っつーか。。。)、なんで地震で示してあるんだろーか、まあ超力7、という最高レベルを基点に話を進めてくれているものでかなりわかりやすいっちゃーわかりやすいですが。基本小学生ターゲットだもんね、雑誌。
ジャンプとかはとてもそう信じらんないわけですが(拘る)。


私、設定とかいきなり詰め込んであると放り投げますから(我が侭)。
てゆーか、超能力マンガっつーのはいろいろ現実との兼ね合いがややこしいもので、どうにもそうなる傾向があり、最近はそれで許されているというのがどーにもこうにも苦手なんすわ。
それ自体が面白くないんだもん。
覚えるのに労力がいって、それが達成出来たら満足感があるっつーのはわかるんだけど、昔は私もそーゆーの楽しめたんだけど、はっきり言って現実のが複雑じゃん? 難しいフィクションって、結局一人のヲタの脳内自己満足だし、他者と共有できるだけの土台になるだけ有名になってくりゃいいけど、今どれを取ってもそこまでいかないじゃん。
好みが細分化されているというか、なんとゆーか。
そんな現状でやったら努力を強要されてもね、冷めるよ。
(ヲタなら名前くらいなら誰でも知ってる、程度でも文句は言わん。)


って、現状マンガへの不満を述べるのに幅使いすぎ。




がっつり設定を固めて、それを固定概念として、あくまでその一部のみを中核としてあとは超越者の孤独を描くのに使った、というのを評価しているという意味です。非難したいマンガ群から一個取り上げて語るのって性に合わないんで、すみません、なんかこうなる傾向があるな。;


深い意味は、多数小学生にはわかんないのかもしれない。
けれど、シンプルに面白いものでもあるのですよ、なにより破壊は楽しいものだし、空を飛ぶ女の子たち、手をかざすだけですらすらっと情報を読み取る子も、なんというかゲーム的で。
その前提に立ち、その上で孤独を語るっつースタンスが好きです。
責務を果たしてない人間は、やっぱり、どんな多少立派な思想であっても、それが正しいとは言い切れない気がするので。




この話は、その女の子たちが組織に属し、超能力を使って様々な事態に当たるというのが基本姿勢。
番外編にですが、ちょっと嫌な台詞とかもあります、「暴力を振るう癖をつけたら後で困る」とか、10歳の女の子たちが言う。逃げる手段を持たない子が一番割りを喰らうのだと。


チームの頭脳、超能力を持たない天才青年のことを、皆すごく好きなわけだけれども、やっぱり「違う者」として描かれてもいます、普段はともかく、極限状態になると途端に顕わになる。
けれど、それが拒絶というわけでもない。
あ、容量いっぱいになっちゃった。。。
(て、余計なこと書きすぎだー!)