自殺(じさつ)とは、自分の意思により、自分の生命を絶つことである。

Wikipedia自殺


毎度御馴染みのWiki君ですが、こんな項目もあるんですな。
ところで通し番号が振ってないのは、えーと、タイトルが長いからということでご容赦下さい。なんか面倒くて。


とりあえず、人殺しと自殺の違いを考えてみたいと思います。


・止めらんない。
・成功したら罰する対象がいなくなるし、失敗した人を責めてもなんか意味がないんじゃないのかしら。だって生きてるし。少なくとも失敗して現世に帰って来ちゃった人のことを責めるのは、彼らのことを愛してる人に限られるんではないのかと思うんですが。


どっちかというと「ワタシからアナタを奪おうとした罪」ていうか。
死んだらその人が自分の人生から失われるわけですし、それがとりあえず一個人の意思で行われたら、それを責めたくなる気持ちはわからんでもありません。


が。


それ以外の理由で責めたら「生きて帰ってきたこと」を責めてるよーなことにもなりかねず、少なくとも蛇足っていうか、なんつーのか自己満足ですよね。
だって生きてるし。
(上のは身勝手だけどわかってるからいいの。)




あと、止められないものは止められません。
だって生命活動止めれば死ぬんだもん、それすら適わないよーな状況は確かにこの世に存在しますけど、もとがそーいう設問じゃあないでしょう。
その人たちの問題はきっと別にあるんだと思います。
端的にいうと、生命維持装置とかね。


んにゃ、そんなことないぜ。


止まった例がたーくさんあるぜ、とちょい鈍めの人が思ったかもしれませんが、それってのは「死にたい」という気持ちが一時的に高揚して、とりあえず取り押さえて脇に置いといたら「死にたくなくなった」という内部の問題とタイミングであって。
本気で死にたきゃ止まりませんよ。
まあ、なんてーのか、そういう一時的なものは止めてもいいよーな気がしなくもないです、その後無気力に生きてって延々に「あの時になんで奇麗に死なせてくれなかった」と恨まれるのかもしれませんが。
いや、そこは社会的に迷惑だから、で押し通していいと思います。
てめぇの運が悪いことを恨めっつー感じですね、刺さないで下さい。




てゆか真面目に、いいこと、という大前提では話してはいないです。
一時的なものであってもね。
いやいや、「自殺を止める」ということをです。


でもまあ、恨みたきゃ恨め、と思っていれば、それはどんな理由であってもそんなに非難に値することとも思えません。
感謝さえ求め、、、つーか、強要しなければ、ていうレベル?
自殺を止めることは、善でないことがあるのかもしれなくても、多分「悪」ではない、というところまでは思います(ものすごく複雑な事情がありうるのかもしれないけどな)(キリねぇな;)。


で、総合してまとめると。
自殺は絶対にしてはいけないとは思ってないが、てゆか止めても止まらないが、止めるのは傍迷惑だから、という理由でもオッケー。
もっと短くすると。


しないに越したことはないよね。という。


ことを私が思っているのだという結論をとりあえず出してみました、そう個人的意見、なんでそんな端的な内容にまとまるのにそんなに長々と語るのかと言うと、よくわかりません。
まあ上段がない時とある時とで、印象が変わらないとも言えません。


ところでこれは、多少ネット上にある、ヒステリックな意見を背景にしているからなんとなく冷静に聞こえるかもしれませんが、実際に自殺どーこうという現場で、このまんまの台詞を言った時に殴られても恨みません。
ええもう全く、無理はないと思いますよホント。
でもなぁ、私個人の意見として、これ以外は無理だよなぁ。
(そもそも止めてすらない。)


どこに行くのか、想像付く人がいたらすごいなという感じに続く。